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Channel: 少年ブリーフ
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初めてオナニーで射精したのは…

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初めてオナニーで射精したのは,私が高校1年生の12月でした。
まだ,15才でした。

小学校6年生のころには,勃起もしたし,夢精も経験した。
中学生の頃は,ただチンチンを勃起させ,もてあそんでいた。
本当の射精がどんなものか, 性行為が何を意味するのかを知らなかったのである。

高校1年の夏には,友人が裏ビデオを見せてくれ,性行為や射精を実感した。
しかし,まだ,夢精しかしたことがなかったので,友人に向かって,
「オレ,あんなに精液が出ないよ。」
と,馬鹿なことを言っていた。

で,月日が進んで,高校1年の12月。家族がどこかに出かけていて,家に自分だけだったときに,いつものように,チンチンを触っていたら,透明液が出てきた。
そして,意識しないうちに,オナニーグリップで,チンチンをしごき始め,段々とスピードがあがり,体を突き抜ける感覚と一緒に,白い液がドクドクとチンチンから出てきました。

もう,それ以来,病みつきになってしまい,日をおかず,場所を選ばず,オナニーをするようになってしまった。
でも,オナニーは,男の人すべてにとって,与えられた大変な喜びだと思う。

彼が僕に言った罰ゲームは…

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今,僕は高校3年生です。僕が,中学時代に体験した事を告白します。

あれは,僕が中学2年生の夏休みでした・・・・。僕がいつも遊んでいる,T君と一緒にテレビゲームをして遊んでいるときでした。
某メーカーの格闘ゲームをしていると,T君は僕に勝つか負けるかのゲームにしては,今ひとつ真剣みに欠けるとのことでした。
そして彼は,負けた者が勝った者の命令に従う罰ゲームをしよう!と言ってきました。僕は面白そうなので,OKしました。

ルールは3回勝負で負けた者が罰ゲームを受けることでした。1回戦は僕が圧勝し,2回戦も僕が勝ちました。そして,3回戦目は彼が勝ちました。僕は油断していました。4回戦目は彼が圧勝しました。そして,運命の5回戦目が始まりました・・・・。ゲーム初番は,五分五分の対戦でしたが,彼が後半追い上げてきて僕は負けてしまいました。そして,僕が罰ゲームを受けることになりました。

彼が僕に言った罰ゲームは,僕のお尻の穴の臭いを嗅ぎたいでした。ぼくは,嫌がりましたが彼は約束が違うと言い,また僕に男らしくないと言ってきました。僕は仕方なく彼の罰ゲームを受けることにしました。

僕は彼の前で,四つん這いになり,ジーパンのファスナーを下ろしました。そして,パンツを膝まで下ろし彼に,肛門を見せました。彼は,汚い!と一言。僕は,もう良いだろうと言うと彼は,まだ臭いを嗅いでいないと言い僕の肛門の臭いを嗅いできました。彼は,肛門の周りに毛が生えている,くっさー!と言ってきました。僕はもうやだ!と言ってパンツをはきました。

今から考えると,恥ずかしいです。

初めて射精したのはオナニーでした

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僕が初めて射精したのはオナニーでした。

小学校5年の時からオナニーしていますが,初めて出たのは中1の時でした。それまではイッた感覚はあったけど出ませんでした。中1のとき仮性包茎だったけど,いつものようにオナニーしているといつもと違う感覚がおちんちんの周りに走りました。ちょっと恐かったけど気持ちいいので止められませんでした。そしたらとろーって感じで出ました。びっくりしました。いきなり白い液が出て。あんまり知識がなかったのでどうしようと思いました。正直言って,病気かと思いました。

それで次の日に親友の子に相談してはじめて知りました。親友も出るというので見たい気持ちにかられて見せてというと,いいよっていって学校の後,僕の家でオナニーを二人でやりました。友達はドピュって感じで飛びました。僕はとろーって感じだった。でも,はじめてみた友達の射精に驚き感動してしまった。(笑)

その後,お互いのを扱きあったり,しゃぶったりしました。友達は全部精液出たけど,僕は作られてる量が少なかったのか最初のオナニーの時にしか出ませんでした。でも,イッた感覚はありました。

背が低くても…

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中学2年です
今年の夏休みの学年での合宿でも見てしました。
私は背が高いので早熟で毛はもちろんのごとくボ~ボ~でした。
しかし,合宿で風呂に入るとき,結構背が低くて,少し声が低くて,まだブリーフをはいている人がいました。
その人のアレを見ると,毛が生えていました。
ボ~ボ~ではなかったのですが,何か異様に興奮しました。
普通背が高いと(あくまで)たいてい早熟だと思うのですが,背が低くても早熟はいるということがわかりました。

中2のころ水泳部の後輩のペニスの影響で剥いた

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中2のころ水泳部の後輩のペニスの影響で剥いた。

俺は小学校のころから水泳をやっていて,中学に入っても水泳部に入りました。そこに入ってびっくりしたことは,先輩や同級生の大半が水着に着替えるときにタオルであそこを隠さずに堂々と着替えてるのを見たとき,俺はハッキリ言って,驚きました。ペニスが俺のとは違って,大人のように(当時,それが亀頭だとは知らなかったので),鈴のようになり,でかちんでした。子どものようなペニスは俺と同級生の友人の数人でした。

何だか俺らは恥ずかしくなりこそこそ隠しながら,着替えていると,先輩が俺らの所によってきて「お前らなに隠してるんだ。男なら堂々と着替えろ。それとも,お前らあそこがまだ子供なんだろと」言われ,ずぼしであった。そして,先輩に履いた水着を脱がされ,「お前らやっぱり包茎か!水泳部で恥ずかしいぞ。お前らは鍛えが足りないと言われ,練習が終わったあと,部室に呼ばれ,先輩からあそこの鍛え方を教わり,特にオナニーのやり方と剥き方を教わり,早速家に帰ってオナニーをやってみると気持ち良くなり,絶頂に達しましたが,あそこの皮は剥くことが出来ませんでした。

その後みんなに聞いてみると,「剥けてとても痛い。だけど我慢するといっていて」,そいつらは1年後半にはズル剥けになったそうです。一方,俺は剥けず,先輩に相談してみると,「お前はまだ,無理かなあ」と言われ,「包茎でも堂々と着替えろと言われ,複雑でしたが言われた通りにしました。

そして,中2になると後輩が入ってきて,後輩も普段は皮が被っていても,手で剥けば亀頭が出てくる程度にはなっていて,ハッキリ言ってやばくなってきました。

そこである日お風呂に入って思い切って剥くことに決めました。湯船の中で思いっきり,力を入れて剥いたらなんか熱いなあと思ったら,なんとあそこが剥けたのです。その時はうれしかったが,それとともにあそこにちんかすがたまっていて呆然となりました。そしてそのままパンツを履いたところ,激痛が走り,とっさに皮を戻してしまい,翌日,学校に行ってそのことを先輩に話すと「お前,男だろそれくらい我慢しろ!どうしても痛いのなら,剥いたままで水着を着ていればいいんじゃないか。あそこはデリケートだから,風通し良くしておかないといけないぞ。」と言われ,それを毎日続けたところ1ヶ月したら痛みがなくなり,パンツをトランクスに替えました。変えるととても心地良いですね。そのお陰でというよりは,剥きつづけたお陰で,友達に1年遅れて,ズル剥けになることが出来ました。

高校に入っても水泳部に入りました。そこでは隠さずに着替えることが出来,それにうれしかったことは,競泳水着をはいて,はちきれそうなモッコリさになったことです。そして,皮被りの後輩にはちんこについて良く話してやりました。あの時先輩に言われた通りのことをそのまま,後輩に教えてやりました。

大学でも,水泳部に入り,先輩の洗礼が急に激しくなり,すっぽんぽんになれと言われ,「包茎のものは俺が無理やりでも剥く」と言われ,友人の中で,この洗礼を受ける奴がいてなんかかわいそうであったが,今では3年になり今の時期先輩も引退し,今年の4月からは俺らがその洗礼をやる番になってしまいます。なんと複雑なことか!少々長くなりましたが,俺の体験談でした。

修学旅行の次の日に

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僕が小6の頃,今から30年前の話になります
。当時ぼくは,生活に変化があったりしたりすると,よく便秘になったいました。
そのころ,ませていた僕は便秘になっても家にあった便秘薬を飲んだり,家にあった医学書を読んだりして自分ひとりでなおしていました。
また家の薬を誰に見つからずに飲んで直っていたんです。

修学旅行は,一日目は楽しく過ごせました。
二日目朝トイレにいっても出ません。
その日は一日ウンコが出ずに気分悪く夕方になって旅行から帰ってきました。
その晩,家にあった薬を飲んでこれを飲めば直ると信じ寝ました。
朝起きても,ウンコが出ません。
その日は学校が休みだったので,母親にうそをいって相談しました。
本当のことをいえば浣腸をされると本にかいてあったので,すこしオシッコの出が悪いといいました。
僕は母親が優しい言葉をかけて薬でも買ってきてくれるのかと思いましたが,母親は,僕の意に反して僕を車に乗せて泌尿器かに連れて行ってしまいました。
病院に入ると母は受付で僕が言ったことをいい診察室に僕と一緒に入りました。
年配の看護婦さんは隣に母親がいるのに構わず,診察台の上に寝ている,僕の半ズボンをブリーフを脱がし下半身裸にして,先生の来るのを待っていました。
先生がやってきて僕のチン子とたまたまを触りながらいろいろ質問します。
「どこかいたいところはないかね,」チン子のつけ根を見ながら大きな声で「お,生えとる。生えとる。」と大きな声で言います。
僕はその頃第二次成長期の始まりだったのですごく恥ずかしかったのを今でも覚えています。
そのうち一番,恐れていたことが起こってきました。
そうです,とうとう勃起してしまったのです。
朝立ちみたいにビンビンにとうとう僕が我慢しきれず,正直に便秘のことを白状しました。
当然,浣腸されたことはゆうまでもありません。
母親に一番恥ずかしい,チン毛の生えかかったチンコをご開帳し,おしりの肛門まで全開した僕はそれ以降,母親に,逆らうことができません。
僕が逆らおうとすると,昔の話を持ち出し,「元気のいいちんちんだったね。」いまだに,当時の話をばらそうとします。
僕は今,42歳,妻も子供もいます。
母は67歳元気です。

田舎の小さな相撲大会で

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田舎の小さな相撲大会で、大会運営のお手伝いをやっていました。

さすがに地方や全国規模の大きな大会では少ないのですが、田舎の小さな大会では、よくまわしがはずれる「チン事」が起こるのです。
だいたい1度の大会で一回はありました。
原因ははっきりしています。
田舎の大会は出場する小学生が多く、まわしを締める時に、人手不足故に見よう見まねで締める保護者がいる為なんです。
大会を運営する立場としては冷や冷やするものですが、一方で「チン事」を期待してもいました。

本来まわしを締めるときには、はずれないようにまわしの先端を折り込むのですが、十分な長さをとらずに締めた場合、きちんと留まらず、相手にまわしをしっかりつかまれたり、後ろ(T字になっている辺り)をがっちり引かれて投げられたときに、前がはずれ、もろに出してしまうのです。
当の本人は必死でやっているものですから、前がはずれてチンチンをさらけ出しても気づかないこともよくあります。
主審に止められて、恥ずかしそうにする子もいました。
また、投げられたときに外れたことに気づかず、かわいいチンチンを揺らしながら自分の方屋に戻っていき、そこで気づくような子もいました。
特に低学年の子どもの中に、丸出しになっていることを気づかない子が多かったようです。

なお、決まり手をつけるとき、本来は「反則(規定)負け」とするのですが、小学生にとっても「反則」というのはあまりにも申し訳なく、「寄り切り」等の決まり手をつけました。
「もろ出し」という呼び方はありません。
念のため。
また、丸出しにしないも、ゆるいまわしの横や後ろから、金玉が顔を出していることもありました。
ほとんどの保護者・子どもは気づいていません。
一応運営の立場上、気づいた時点でまわしを締め直すようにアドバイスをしていたのですが。
こちらは比較的、高学年の子どもに多かったと記憶しています。

田舎の相撲大会は冷や冷やすると同時に、興味深いものです。

6年生のちんちんたち

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僕のバイトしているビルには,ある有名な塾が入っています。
もうビルはぼろいのです。
塾は2.3階で,雑居ビルには各階にトイレがあります。
トイレは階段付近にあるので,別にその階の人だけ専用ではないのです。

ただ,各階トイレにはに男子小トイレは3つしかなく,さすがに足りないということでしょうか,塾の階にはもう2つずつ小便器が増設されています。
ただ,全体のトイレスペースは同じだから,小便器同士の間にある「ついたて」のようなのがなく,小便器同士が接近しています。
それでもって,すごく古いビルですから,小便器も古く,小さいタイプです・・・つまり,ついたてもないのですから,となりの人のちんちんはいつも丸見えです。

ぼくは最近,いつもそのトイレを使うことにしています。
特に休み時間はいやでも人が殺到します。
6年生になると,だれかが小便をしていると,トイレに来ても,もじもじしていたり,ためらったりしていることがあります。
ただ,友達よりも,知らない大人がとなりのほうがやりやすいらしく,ぼくの横の便器でする子が多いです。
それは,ぜったいにとなりの人にちんちんを見られなくてはならないからです。

もちろん,ぜんぜんはずかしげもない子もいますが,だいたい「毛」がもう生えています。
びっくりするくらい,はえていて,「6年でこんなになるものか」と思うくらいです。
最近の子は成長の早さを感じます。
ちんちんもでかいです。

ただ,ちん毛はボーボーでも,ちんちんは結構でかく,ぼくが隠したくなっても,みんな包茎ですね。
かわいき,先がみんなとんがっています。
毎日,10~15本のちんちんをみますが,半分以上のちんちんがチン毛ボーボーです。
しゃぶりたくてたまりません!!

小5の時に精通しました

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自分は小5の時に精通しました。朝起きてパンツが濡れてたのでびっくりしました。

そして、小6のときにチン毛がはえてきました。小学卒業のときには、ジャングルでした。

中学時代,全寮制の男子校にいました

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中学時代,全寮制の男子校にいました。そこはとてもきびしい所で,寮は完全に3年生が取り仕切っていました。3年生は一人部屋,2年生は4,5人,1年生は最大で8人が同じ部屋に住んでいました。(同じ広さの部屋に)

1年は3年の洗濯物の洗濯や,トイレの掃除(時には素手で),部屋に呼ばれてマッサージなどさせられます。3年生の中には専属の世話係を同じ部屋に住まわせる人もいます。僕もその一人でした。

世話というのは,もちろん性的な世話も含みます。僕は,ラグビー部のとても体の大きい先輩の世話係になりました。口やお尻を使って,毎日お世話しました。時には休み時間中に学校のトイレでお世話したこともありますし,ラグビー部の部室で他の先輩の見ている前でお世話させられたこともありました。他の先輩に貸し出されたこともあります。

3年生が卒業すると,再び同じ学年の人たちと同じ部屋になりました。今度は同学年の世話をすることになりました。そして僕自身が3年生になった時,僕も世話係を同じ部屋に住まわせました。ラグビー部の1年生でした。

友達の肛門

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小学2年のときでした.真夏の暑いある日,S君の家に遊びに行きました.
事前に約束もせずいきなり行ったのでS君とお兄さん(当時小学5年)は家の中でシャツ1枚でした(なんと下は裸!)それでも幸い,親は不在だったので家に入れてくれて,S君とテレビ見て遊んでいました.

この日は36度にもなる暑さだったので,僕も2人に合わせて裸になりました。ただし2人が下半身裸なのに対して僕は上半身だけ裸でしたが.さて,お兄さんが塾の時間になって出かけたのでS君と2人になりました.S君は下半身裸のままうつぶせに寝転んでしまいました.S君のお尻が丸くつるつるしてて僕はドキッとしました.そしてついにS君のお尻の至近距離に近づいて,お尻にタッチしました.
S君は別に嫌がる様子もなくじっとしてテレビを見ていました.そして僕はS君のお尻の割れ目に注目しました.そっとこじ開けて見ると,そこは肛門がきれいな形でありました.縦長で1cmくらいの穴が締まってて,周囲はしわがびっしり.拭き方が上手いのか,あるいは風呂入った後だからか,ウンチとかは全くついていなく,きれいな肛門でした.

S君は僕が肛門のひだに触っているのを知っていながら普通にテレビ見ていました.S君の肛門はずっと締まったままでしたが
「S君はいつもこの穴から,僕がいつもしてるようなサイズのウンチをふんばって出してるんだなぁ。あるときにはこのひだがピーンと伸びきって大きな穴が開いてウンチを絞り出しているんだなぁ.今朝もきっとこの肛門からたっぷりウンチが出たんだろうなぁ.」
っていろんなこと思ってました.

次に,僕はS君の肛門の締まっている穴に触れ,人差し指を中に入れてみました。S君はびっくりしたようでしたが,あまりの猛暑だったからか,あるいはほんとに気持ちよかったからか抵抗もせずじっとしていました.僕の人差し指はS君の締まった肛門の穴の隙間を通り抜け,直腸へと入っていきました。当時指が細かったためか,案外楽に入っていきました。そして1cmほど入れたら・・・!
あ!S君のウンチだ!
石ころみたいなのにぶつかったのでした.僕は「ねぇ、これってウンチじゃん?」ってS君に話し掛けてみました.S君は「ああ.今日はまだウンチしてないや」ってあっけらかんに答えました.僕はさらに人差し指でS君の肛門の中に隠れている固そうなウンチをノックし続けました.ノックの震動が奥まで響いたのか,S君はついに立ちあがりました.
「くそしてこよっと.」
僕はS君についていきました.S君の家のトイレは和式でした.猛暑のためにドアは開けっ放しでS君は便器にしゃがみました.「うーん!」と1回力むと,先ほどまで僕になでられてた肛門のひだがピンと伸びて急に大きな穴が開きました.僕が指でノックしてたあのウンチがついに顔を出してきました.意外に太いウンチでした.まさかこんなものが詰まってたとは!!

S君は何度か力んでましたが,猛暑のために休み休みになっていました.まだ肛門には太くて固いこげ茶色したウンチが3cmほど顔を出したままです。暑さと固いウンチの排便に苦しそうなS君を見て,僕は手伝ってやることにしました.出掛かったウンチをつかんで引っ張り出してあげました.しかし途中で切れてしまいました.重量感ある,ころころウンチがつながっていたようです.
「やっぱ,ウンチってためとくと出にくくなるね.」
ってS君は言いました.再びS君が力むと,さっきよりはやや柔らかめの,しかし依然太いウンチが少し出てきました.「あっつーーい!」3cmだけ出ている太いウンチを,今度は途中で切れないようにゆっくり引き出してあげました.「がんばれ!」肛門のひだだった皮膚はすっかり伸びきって,ウンチの周りを取り囲むようにくっついているようで,今にも破れそうでした.
「大丈夫か?」ゆっくりとS君の太い,そしてまだ少し固めのウンチを引っ張っていきました.ついにウンチは急に出る速度を速め,25cm位出て便器にボッチャーンって落ちました.「ありがとう、たすかったぜ」ほんのりとくっさーいS君のウンチのにおいが,僕の右手を包みました.「手洗ったほうがいいぜ」といわれ,手を洗いました.石鹸使ってもまだにおいはほんのり残っていました.

中学時代,全寮制の男子校にいました

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中学時代,全寮制の男子校にいました。そこはとてもきびしい所で,寮は完全に3年生が取り仕切っていました。3年生は一人部屋,2年生は4,5人,1年生は最大で8人が同じ部屋に住んでいました。(同じ広さの部屋に)

1年は3年の洗濯物の洗濯や,トイレの掃除(時には素手で),部屋に呼ばれてマッサージなどさせられます。3年生の中には専属の世話係を同じ部屋に住まわせる人もいます。僕もその一人でした。

世話というのは,もちろん性的な世話も含みます。僕は,ラグビー部のとても体の大きい先輩の世話係になりました。口やお尻を使って,毎日お世話しました。時には休み時間中に学校のトイレでお世話したこともありますし,ラグビー部の部室で他の先輩の見ている前でお世話させられたこともありました。他の先輩に貸し出されたこともあります。

3年生が卒業すると,再び同じ学年の人たちと同じ部屋になりました。今度は同学年の世話をすることになりました。そして僕自身が3年生になった時,僕も世話係を同じ部屋に住まわせました。ラグビー部の1年生でした。

小5の時に精通しました

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自分は小5の時に精通しました。朝起きてパンツが濡れてたのでびっくりしました。

そして、小6のときにチン毛がはえてきました。小学卒業のときには、ジャングルでした。

ガキ大将のE君の声を聞きつけ,校舎裏に集合

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私が6年生だった年の秋の出来事です。昼休みに,4年生のガキ大将のE君の声を聞きつけ,校舎裏に集合しました。まず発見者のE君と,学校のボスのB君が,偵察に行きました。「あっはっはっはは!!」と爆笑しながら,2人は戻ってきました。B君が,「よくぞ見つけた!」とE君の背中を叩きました。そして,私たちも見に行きました。校舎裏の,鉄製の物置小屋とコンクリート壁のごく狭い隙間を抜けたところ,ボイラー棟とコンクリートの壁にはさまれた一角に,巨大なウンコがありました。明らかに人間のものでしたが,紙は落ちていませんでした。太さ4~5センチ,長さ10+15+20センチ。こげ茶~茶色~黄土色と色が変遷していて,まるで絵に描いたように,芸術的に重なりあっていました。まさに理想的なウンコです。つい今しがた出されたばかりの新鮮さで,ぷ~んときつい臭いが漂っていました。E君は,「すげえでしょ。マジでこれ野ぐそだよ。臭えー」などと得意げに語りました。みんなうっとり見とれて,ため息をついていました。アレを排泄した奴は,きっと2・3日便秘して,今日学校で,もよおしたのでしょう。恥ずかしくてトイレに行けず,ここに隠れて排泄したというわけです。ウンコの頭の部分はかなり堅く,後になるにつれ,柔らかく(といっても,普通の堅さ)なっていました。この頭の部分を出すときには,かなりのりきみと時間を必要としたでしょう。堅いウンコを栓にして,家まで我慢する苦しみより,万一ばれる危険を冒してでもここで出して楽になることを選んだのですから,これを腹に溜めた不快感は相当なものだったのでしょう。

なぜか犯人を探そうとする人はいませんでしたが,私は,第一発見者のEくんが,一番怪しいな,と思いました。大食いでガッチリした体型の彼なら,これくらいのウンコを溜めこむとは容易でしょう。あるいは,彼にとってはコレが普通のウンコなのかもしれません。それに,名誉あるガキ大将である彼は,トイレでウンコをすることは敬遠していました。だいたい,こんな辺鄙なところ,普通誰も寄りつきません。6年生の私だって,初めて入ったところです。コレを発見したという事が,そもそも不自然です。
これはE君お得意のいたずらに間違いない,と思いました。おそらく,ウンコを済ませてこの隙間から出てきたところを友達に見つかって,苦し紛れに思いついたのでしょう。もしくは,あらかじめウンコを溜めるところから計画を立て,探検するとか言って,隙間の奥に1人で入り,のうのうとウンコをしたのかもしれません。さらにこのとき私は,ずっと前に,まだ1年生になりたてのE君が,登校途中に堂々と野ぐそをするのを目撃したことを思い出していました。当時の彼には,まだ羞恥心というものは無いようでした。そのときのウンコは,黄色くて,柔らかい,かわいらしいものでした。そのときも,Eくんはお尻を拭いていませんでした。いずれにせよこの事件は,E君にとっては,山盛りの巨大ウンコの処理と,究極のいたずらとを兼ねた,非常に有意義なものとなったわけです。E君はバレてるなんて思ってないでしょうが。

とても恥ずかしい練習

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ぼくは小1の頃から相撲をやっている6年生です。今年に入って,とても恥ずかしい練習がありました。

去年の終わり頃から,ぼくのおちんちんのまわりに毛が生えてきました。しばらくは,生えてきたんだと少しうれしかったのですが,同級生はほとんど生えていなかったので,見られたくないと思っていました。

今年最初の練習日,それまではどんなに人が多くてもふるちんになって着替えをしたのですが,毛を見られたくないと思い,タオルを巻いてパンツを脱ごうとしました。するとコーチに,
「こら,何を恥ずかしがっているんだ,タオルを取れ」とおこられました。コーチにおこられると,後の練習がたいへんなので,しかたなく今まで通りフルチンになりました。当然,ほとんどの人がぼくの毛に気づきました。大人はみんな
「おっ,おまえも毛が生えてきたか」といい,同級生や低学年のみんなは
「あ,すすむくん(ぼくの名前),毛が生えてる」と笑われました。笑われたり,みんなに見られたりして,とっても恥ずかしくなりました。すると,だんだんぼくのチンチンが固く,大きくなることに気づきました。結局,ぼっきしたちんちんと毛をいっしょに見られたままに,着替えをしたのです。

練習が始まっても,ぼっきしたチンチンはそのままでした。ぼくたち小学生のまわしは他の人たちよりもうすいので,チンチンがぼっきしたままであることを大人の人たちは気づいていました。しかも,今年最初の練習だったので,とてもつらかったので,まわしがかなりゆるくなりました。横から見えていないか,とても気になったのですが,確認しようとした瞬間,近所の4年生が
「すすむくん,横から毛が見えた。チンチンが大きくなっているのも見えた」と言われ,さらに恥ずかしくなりました。

このことばかり気にして練習をしていたので,いつもは負けるはずのない4年生にも負けてしまい,さんざんの練習でした。そして練習の後,コーチに呼ばれ,コーチと二人で特別の練習をすることになりました。ところが,それは相撲の練習ではありませんでした。

「おまえ,毛が生えたくらいでなにを気にしてるんだ?」
「でも,恥ずかしいじゃないですか。」
「ばかやろう。今までとなにも変わらないぞ。ただ,大人に近づいているだけだ。俺だっていつもおまえたちの見ている前ではだかになってるだろう」
「はい,でも・・・」
「しかたない。二人で今日は,大人になるための稽古をしようか。」

と言われると,コーチはぼくのまわしの結び目を解き,ぼくのまわしをほどき始めました。あっと言う間にぼくはフルチンにされてしまいました。コーチ一人しかいませんが,毛を見られた恥ずかしさで,またまたチンチンはぼっきを始めました。それを見たコーチは,
「大人になったら,チンチンはこうするんだ」と言って,ぼくのチンチンをつかみ,チンチンをおおっている皮をめくり始めました。
「いたい,いたい」と涙が出そうになりましたが,
「がまんしろ」と言われるままにしていました。そして,
「ちんちんがおおきくなったら,こうするんだ」と言われ,大きくなったチンチンをこすり始めました。
「いたい,いたい」と今度は涙が出たのですが,だんだん体中に力が入ってきました。そして,ふっと力が抜けた瞬間,チンチンの先から白っぽいものが出てきました。
「あ,土俵でおしっこをもらした。やばい」と思った瞬間,
「おまえも射精できるじゃないか。よし,おまえは立派な大人だ。もう,恥ずかしがることはないな」とほめられました。

ぼくは恥ずかしさと,土俵でおしっこをしてしまったというおもいで,しばらく泣いていましたが,コーチの声が優しくなったのを聞いて,しばらくして泣くのをやめました。

相撲の練習ではこのあと,堂々と裸になることができました。でも,この日の出来事は,まだ家族には話していません。毛が生えたことを言うのが,とくにお母さんと妹に話すのがはずかしいからです。

僕はとても悩んでいました

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中学一年の夏休みの終わりの頃、僕はとても悩んでいました。タマタマ(睾丸)がしくしくと痛み、オシッコをする時や、オナニーをして精子が勢いよく飛び出す瞬間、尿道が少し痛むのです。

その頃はオナニーを覚えたてで、愉しくて愉しくて毎日のようにせっせと励んでいたので、あるいはオナニーのやり過ぎではないかとも思い、一週間ほど我慢をしたのですが、いっこうに直りません。これはきっと、重い病気にかかってしまったに違いないと、とても不安でした。

恥ずかしくて両親に打ち明ける事もなかなか出来ず、一人で悩んでいたのです。痛みはいっこうに直る気配もなく、僕はついに恥ずかしさをこらえて、父さんに打ち明けたのです。

父さんは僕を小児科専門の大きな病院に連れて行きました。受付を済まして、「泌尿器科」という看板の出ている廊下のベンチに座って順番を待ちました。「泌尿器」という意味が僕には分かりませんでしたが、「泌」という文字から「秘密」の「秘」を連想し、「秘密の場所を診察する科」なのだと思い、胸がドキドキしました。病院にオチンチンを専門に診察する科があるのだという事をその時始めた知ったのです。

母親に連れられた小学生の女の子と、やはり母親に連れられた小六くらいの男の子が待っていました。男の子はとても可愛い子でした。この子も、僕と同じようにタマタマやオチンチンが痛いのだろうか、と思うと、何となくその子に親近感を抱きました。女の子も待っている、という事は、オチンチンばかりでなく、女の子のあそこも診察するのだろうか、なんて考えました。

男の子が小さな声で「ママ、きょうもニョウドウセンジョウするの」なんて母親に話しかけているのが耳に入りました。
「して貰ったほうが早く直るのよ」なんて母親が言いました。
僕には何の話なのかわかりませんでした。ずいぶん難しい言葉を使う子だなあ、なんて感心してしまいました。でも、その時耳にした「ニョウドウセンジョウ」という言葉が、僕にとっても重大な意味を持つ言葉である事を、後になって知ったのです。

ぼくはふと、お医者さんの先生はどうやって診察するのだろうか、と考えました。今までは病院に行って早く痛みを直したい、という事だけ考えてえていたのですが、いざ、診察されるとなると、大きな不安が頭をよぎったのです。

診察の時、僕は自分のオチンチンを先生の前に晒し出さなければならないのだろうかという不安と恐れです。まさか、と僕は思いこもうとしました。そんなことは絶対にない、だろうと、僕は必死に思い込もうとしました。僕のものはまだ皮を被ったままでしたが、発毛も始まっていたし、中学生になってからは急激に発育し、太く大きくなっていたのです。
その頃の僕はオチンチンを他人に見られる事が凄く恥ずかしかったのです。父さんに見られる事も恥ずかしくて、一緒にお風呂に入る事もしなかったのです。先生はきっと僕の症状を聞いて、薬を出してくれるだけだろう、と僕は思い込もうとしました。先生にオチンチンを見られるくらいなら、タマタマや尿道の痛みくらい我慢出来る、と僕は思いました。でも、心の奥底には、もしかしたらという一抹の不安もあったのです。

女の子と男の子の診察が終ると、今度は僕の順番で、看護婦さんに名を呼ばれ、父さんは待合い席で残り、ぼくは一人で診察室に入って行きました。

「どうしました」と白衣を着た初老の先生が優しく聞きました。
「あのー、タマタマと(その時は睾丸という正式な名称を知らなかったのです)チンチンが痛くて」
僕は恥ずかしさをこらえて必死に言いました。
「はい、じゃあ、そこに寝て」
先生は診察台を指差しました。僕はドキドキしながら診察台に寝ころびました。
「ズボンとパンツを下げて下さい」と看護婦さんが命令口調で言いました。僕は息を呑みました。恐れていたことが現実になったのです。先生ばかりでなく、若い看護婦さんまでいるのです。二人の眼の前でパンツを下ろす???????

「ウッソだろう」僕は心の中で叫びました。
「もう治ったからいいです」と言ってその場から逃げ出したくなりました。病院なんか来るんじゃあなかった、僕は自分の運命を呪いながら、仕方なしに恥ずかしさを必死にこらえてベルトを緩め、ズボンをパンツを下ろしました。

先生が僕のチンチンを摘み睾丸を触りました。
「痛いのはこの辺ですか」と先生が聞きました。
「はい、そこです」と答えました。先生は僕のチンチンを数回しごきました。緊張で縮んでいた僕のチンチンが少し硬くなりかけました。
「ああ、神様、勃起だけはしないように」僕は祈りました。見られただけでも穴に入りたいくらい恥ずかしいのに、この上勃起までしてしまったら大変です。

先生は僕の包皮を剥くと、小さなガラスをチンチンの先端に押しつけ、なおも数回僕のチンチンをしごき、睾丸をさすりました。いくら緊張していたとはいえ、何もしなくても日に数回は勃起する敏感な年頃の僕のチンチンは、先生が数回しごいただけで、ムクムクと勃って来てしまったのです。僕は恥ずかしさに眼をつむりました。
「はい、もういいですよ」先生がいい、僕は起きあがって急いでズボンを上げました。ちらっと自分のチンチンを見ると、半勃起の状態になっていたのです。恥ずかしさに僕は顔が熱くなるのを感じました。

先生は僕のチンチンの先端に押しつけたガラスに何かの薬を垂らすと、机の上の顕微鏡を覗きました。父さんも呼ばれ、
「睾丸と尿道が炎症を起こしています。少し膿が出てます。尿道からばい菌が入ったのでしょう」と先生は父さんに話し
「最近プールに行きましたか」と僕に聞きました。夏休みに入ってから数回、僕は市営のプールに行ったのです。
「プールで感染したのでしょう。最近、同じような症状の子供が数人いますから」
「薬を出します。それからニョウドウセンジョウをしましょう。治るまで一週間に二回通って下さい」先生の言葉に僕はまた息を呑みました。診察はまだ終わったのではないのです。

ニョウドウセンジョウ、さっき待合室で可愛い男の子が口にしていた言葉です。一体どんな事をされるのか僕はまた不安になりました。またチンチンを触られるのだろうか。
父さんはまた待合室に引き返し、僕は看護婦さんに案内されて診察室の奥の「処置室」と書かれた部屋に入りました。
その部屋で僕の眼に入ったのは、不思議で奇妙な格好の診察台でした。踏み台を二段ほど昇らなければ乗れないくらいの高さで、足を載せる台が二つ斜めに突き出ています。診察台の黒い皮が不気味に光っていて、僕は一瞬、恐怖にかられました。
「ズボンとパンツを脱いでこの上に乗って下さい」優しい顔をした若い看護婦さんは冷酷に僕に命令したのです。見ると脱いだ服を置く籠まであります。素っ裸になってあの診察台乗るのだろうか、僕はそう思ってまた動悸が激しくなり、顔が熱くなり、身体がぶるぶると震えました。泣き出したくなる程の恥ずかしさをじっとこらえて、仕方なしに僕はシャツを脱ぎました。

「あっ、上は脱がなくていいのよ、下だけで」看護婦さんが言いました。
「なんだ、素っ裸にならなくていいのか」と僕は思い、救われたような、それでいてがっかりしたような奇妙な気分でした。黒い皮の光る奇怪な診察台を見た瞬間、僕は素っ裸になって横たわる自分を連想してしまったのです。チンチンを見られる事が死ぬほど恥ずかしいと思いながら、一方で僕はこの奇怪な形の黒く光る診察台に素っ裸で横たわりたい、と思ってしまったのです。この診察台に素っ裸にされて横になり、足を開かされ、先生と看護婦さんから拷問される。ふと、そんな事を空想してしまったのです。そしてまずい事に、その空想によって僕のチンチンはムクムクと勃って来てしまったのです。

シャツをもう一度着てから、僕はズボンとパンツを脱ぎました。見るとチンチンは半勃起の状態で大きく硬くなっています。手で隠すような仕草で踏台に昇り、診察台に上がって仰向けに寝そべりました。いつまでも手で隠しているワケにも行かないので、意を決してチンチンから手をどけました。これで看護婦さんに半勃起のチンチンを晒してしまったのです。
「足をここに載せて」と看護婦さんに言われ、太股の辺りを両側に開いた台の上に載せると、僕は両足を上げて大きく開き、下半身を突き出す、という恥ずかしさの極地のような格好になってしまったのです。半勃起のチンチンから、お尻の穴まで、すっかり看護婦さんに見られてしまっているのです。しかも、診察台が高いので、看護婦さんの眼の前の見やすい位置に突き出す、という姿勢です。僕のお腹の辺りは小さな黒いカーテンで仕切られ、僕は自分の下半身を見る事は出来ません。僕のお尻の下には白い紙が敷かれているのが感触でわかりました。

これから何をされるのだろうか。僕は期待と不安でドキドキしました。すると、先生が入って来ました。先生は僕の半勃起のチンチンを摘み、そして、細い管のようなモノを僕の尿道に差し込んだようです。僕からは見えないけど、痛みはなく、尿道の辺りにこそばゆいような感触がありました。そして、次の瞬間、オシッコをする時とは逆の感触、液体が先端から奧に流れる感触がしました。管から薬を流し込んだようです。そんな感触が三回ほどし、先生はまた僕の睾丸を二三回押さえ、
「はい、終わりました」と言いながら厚手のテッシュペーパーので僕のチンチンをふき、
「抗生物質の薬で洗浄しました。入れた薬が出てきますから、これで押さえながら降りてください」
僕はテッシュペーパーでチンチンを押さえながら診察台を降りました。その時には僕のチンチンは完全勃起に近いほどの状態になってしまっていました。慌ててパンツを履こうとしてテッシュペーパーを取ろうとすると、尿道から薬がタラタラと垂れて来て太股をぬらしました。
「あっ、ちょっと待ってね」看護婦さんが言いながら近寄り、ガーゼで僕のチンチンを優しく拭いてくれたのです。ほとんど勃起状態で亀頭が少し顔を出していたので、その敏感な部分を拭かれた瞬間、僕は何とも言えない快感が身体を突き抜けるのを感じ、思わず身を震わせてしまったのです。
看護婦さんは「パンツが薬で汚れるから、ガーゼを当てたままパンツを履いて下さいね」と優しく言いました。

その日の診察は終わり、僕は薬を貰って父さんと帰ったのですが、次は一人で病院に行きました。あれほど恥ずかしかった事が、何となく待ち遠しく、僕はわくわくしながら病院に行ったのです。

待合室でまた母親と一緒のあの可愛い男の子に会いました。「ニョウドウセンジョウ」という言葉を教えてくれた小六くらいの男の子です。その子は僕より先に診察室に入りました。僕は順番を待ちながら、いま、処置室であの可愛い子も下半身裸になって、あの奇怪な診察台に乗り、両足を開いてオチンチンを突き出し、ニョウドウセンジョウを受けているのだ、と思いながら、その光景を思い描きました。それは僕にとって凄く刺激的な光景で、考えただけで僕は勃起してしったのです。

少し経ってその子が診察室から出て来ると、僕はその子に「勃起しちゃった?看護婦さんにチンチン拭いて貰った?」なんて話しかけたい欲求にかられましたが、母親のいる前でそんな話しも出来ず、黙っていました。処置室できみが何をされたかちゃんと知ってるよ、僕はそう思いながらその子の可愛いらしい顔をちらっと眺め、その子と共通の秘密を持った事に何となく喜びを感じてしまったのです。僕の順番が来て、診察室でガラスをあてられ、処置室でニョウドウセンジョウ、という、この前と全く同じ診療を受けたのですが、始めから終わりまで、僕はほとんど勃起しっぱなしでした。そして、不思議な事に、あれほど恥ずかしかった事が、すっかり平気で、むしろ勃起させたままで診療を受ける事に、密かな歓びすら感じてしまっていたのです。その時も、終わった後、看護婦さんはガーゼで僕の勃起したチンチンを拭いてくれたのです。

二回の通院で僕の炎症は治り、病院に行かなくても良くなったのですが、その事が僕は何となく物足りないような気分で、もっと病院に通い、同じ体験をしたい、と痛切に思ったものです。ニョウドウセンジョウが「尿道洗浄」という意味であることがわかったのは、ずっと後のことです。

胴着の下に下着を着けることがゆるされません

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小学校の頃から剣道を習っていたので,中学校でも剣道部に入りました。でも,小学校のころと違うのは,顧問の先生の方針で男子は胴着の下に下着を着けることがゆるされません。(他の学校では下着も短パンもゆるされていました。)だから先輩たちは道場でパンツまで脱いで胴着を着ていました。でも,1年生は1学期の間は胴着を着ることも防具を付けることもゆるされず,上半身裸,下は短パンで素振りばかりさせられます。

夏休みに入るとすぐに学校での1週間の合宿があります。
合宿1日目,朝から晩まで練習をした後,男子だけ先輩からの説教がありました。気合が入ってないということで,全員裸にさせられ,素振りを100回したあと,裸のままで雑巾がけさせられました。後ろからだとお尻の穴も丸見えになり,先輩達は大笑いしています。そのあと1週間は短パンだけ着ることがゆるされ,2日目からは一番気合が入っていなかった人だけが裸で素振りと雑巾がけさせられました。(僕は4日目にさせられました。)

練習後,近くの銭湯に行くのですがそれも短パンだけで行かされます。銭湯では先輩の背中を流させられ,毛が生えている1年生は全員剃らされました。(僕はまだ生えていませんでした。)

男子は道場で寝るのですが,3年生以外は2人で一つの布団に寝かされます。(もちろん短パンだけで。)眠る前に毎日何人かづつ,芸をさせられます。芸がつまらないと素っ裸で素振りを100回させられます。

毎朝勃起チェックもさせられました。合宿中はトイレに行くには3年生の許可を求めなければなりません。そしてウンチをする所とした後のお尻を見られます。僕も2日目と5日目に見られました。(他の日はがまんしました。)小柄だった僕は先輩に抱えられながらウンチをさせられました。そして合宿最後の夜に毛が生えている(生えていた)1年生は全員校庭でオナニーさせられました。

2学期になると3年生が引退し,その胴着と防具が1年生に渡されます。1年生も道場で着替えるようになりましたが,脱いだ服の1番上にパンツを置くようにいわれました。そして毎日のようにパンツの汚れチェックをさせられました。中には胴着の中に手を入れられてしごかれ,射精させられる人もいました。3年生の卒業間際には裸で防具だけを付けて真剣に試合をさせられました。

その後,僕達もその伝統を受け継ぎました。その当時はとても恥ずかしかったですが,今思うと懐かしい思い出です。

プールの着替えの時間

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僕が小学5年生のときのプールの着替えの時間。

僕は,その着替えのときは係りで遅れたので,男子達はもうプールに向かっていました。女子ももう行ったんだろうと思い,教室でタオルなしで着替えて,しばらくはしゃいでいました。全裸で廊下にも出てみました。女子の声がしたので,水着に着替えようと思いバッグの中を見たら,水着を家に忘れてきてしまったらしく水着が入っていませんでした。

そこらへんを探しているうちに女子が荷物を置きにきました。僕は全裸のままです。女子はキャーキャー行って,僕の方に来ました。そして,僕は仰向けにされ,チンチンを触られまくりました。勃起して女子は余計キャーキャー言うのが何か快感でした。僕がやられている間に他の女子が僕の服とパンツを女子トイレに隠してしまいました。僕は走って取りに行きましたが,女子トイレの前は女子がたくさんいて,入ろうとすると「へんたーい。最悪。」とか言ってきてなかなか入らせてくれません。ほとんどの女子が笑いをこらえていました。多分僕の全裸姿が面白かったからでしょう。その時の快感は忘れられません。

友達とお尻ごっこ

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小学校のとき、友達とお尻ごっこという遊びを親がいないときよくやりました。お互いにパンツを下ろしてパンツの裏側やお尻の穴を見せっこする遊びです。この遊びは誰が一番お尻の穴がきれいかを競う遊びで、勝った方が王様として、みんなに命令できるのです。女の子もはいることもありましたが、男の子同士ですることもありました。

女の子も男の子も、パンツにウンコのスジがついてることが多くて、パンツを下ろしただけで勝負がついてしまうことが多かったように思います。でも、パンツがきれいだと、お尻の穴を見せっこして、臭いを嗅いで決めます。けんちゃんやかずおくんとよく、この遊びをしたので、今でもつんとした独特の臭いを思い出します。ときどき参加したみつおくんは、いつもほとんど臭いがしないので参加すると勝ってしまいます。

わたしは、いつもパンツにウンコスジがついいたので、すぐ負けてしまいましたが、その後、シャワーでお尻を洗って、パンツをはき替えて、お尻ごっこに誘うようになり、だんだん勝つようになりました。

ある時、5、6人くらいでお尻ごっこをやっていて、臭いを嗅いでも臭くない3人が残りました。わたしとみつおくんとゆうこちゃんでした。それで、誰かが、お尻の中に綿棒を入れてみようよ、といいだして、それで綿棒を入れて、一番きれいな子を王様にしよう、ということになりました。
3人が四つん這いになり、順番にお尻を開き綿棒を入れられていきます。最初は、わたしでしたが、ちょっと先のほうを入れたと思ったら、
「ウンコついてる」という声がして、見たら、べっとり茶色いものがついていました。さすがに中まできれいにできません。わたしはそれで失格になってしまったので、ゆうこちゃんのお尻にわたしが綿棒を入れました。ちょっと、お尻の穴の臭いを嗅いだら清潔そうな石鹸のにおいがします。少し、回りを綿棒でなでてみましたが、ウンコがつきそうな感じがしません。それで、少し奥まで入れて抜いてみました。うっすらと黄色くなっていました。
「よしおちゃんより全然きれいだ」という声が上がりました。
最後は、みつおくんの番です。ゆうこちゃんが綿棒を入れます。みつおくんはいつも王様なのでみんな興味深そうに見ています。わたしも顔を近づけるように見ていました。みつおくんはきれいな少年で、女の子みたいに肌がきれいでした。ゆうこちゃんとおなじように石鹸ののいいにおいがします。最初は綿棒は入りにくそうでした。
「もっとつよくいれなきゃ」という声が上がり、ゆうこちゃんが力をいれます。するとどういう訳か、根元まですっぽり入ってしまいました。それから、出すのが苦労しました。みつおくんが痛がっていたので、わたしが代わってゆっくり出しました。こんなに奥まで入ればウンコべったりとおもいました。やっと出し終わったとき、びっくりしました。濡れた感じにはなっていましたが、全然汚れがないのです。
「みつおくんの勝ちだ」わたしは宣言しました。そして、こっそり綿棒の臭いを嗅ぎました。驚いたことに全然臭くありませんでした。綿棒を根元まで入れても、汚れも臭いもしないのです。わたしは、このきれいな少年は、お尻の中まできれいなんだと思い、尊敬の気持ちさえ、持ちました。

みつおくんは、まもなく家の都合で転校してしまいました。わたしは今でも彼に不思議な印象を持っています。

同級生にいつもいじめられていた

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小学6年生のときだ。背は大きいが喧嘩なんかは大っ嫌いな僕は,Gという同級生にいつもいじめられていた。Gはいつも一人ではなく,何人かの仲間と僕のことをいじめてきた。そして身体検査のとき,ブリーフ姿で保健室から教室に帰ると,Gの仲間がニヤニヤしている。

嫌な予感がしたので,早くズボンを履こうとしたが,周りから何人もの人が僕の体を押さえつけた。あぁ,パンツ脱がされる・・・そう思った瞬間,一気にブリーフを脱がされた。皆の視線が股間に集まる。

「でけーなー」「大人のちんちんじゃん」などと好き勝手なことを言っている。すぐには開放してくれず,Gが僕のちんちんを触ってきた。「あぁ,やめて!」「お願いだから・・・。」何度も叫んだ。しかし,Gは笑いながら手を離してくれない。だんだん大きくなっていくのが分かる。声を出せばもっとやってくると思い,黙って我慢していた。しかし下半身は最高潮に大きくなる。Gはその瞬間に手を離した。勃起したちんちんが皆にしっかり見えるようにしたのだ。あぁ,なんてこった。

この後まだオナニーと云うものを知らなかったらしく,そこで開放してくれた。しかし,勃起したちんちんをクラス中に見られた恥ずかしさは言葉に出来ないほどだ。卒業するまで,これ一回だけだったが最悪の日だった。
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