December 29, 2014, 2:34 pm
僕の陰毛が生え出したのは、10歳になったばかりの小学4年生の6月だった。
学校の授業でサッカーをしていた時、股間が無性にかゆくなり、さすがに人前で股間を掻くわけにもいかないので我慢していた。
授業が終わると僕は一目散にトイレへ向かい、おしっこをしながらちんちんの周りをかきむしった。
その時であった。
何とうっすらと産毛のようなチン毛がちんちんの周りに生えていたのであった。
びっくりしたと同時に自分の目を疑った。
その時は周りに友達もいたので、その場できちんと確認するのが恥ずかしく、家に帰って確認することにした。
家に帰るとパンツをおろして確認すると、やっぱり陰毛が生えていた。
当時の僕には、この事実は非常に恥ずかしく、当然友達にも家族にも黙っていた。
だから、それ以後学校でおしっこするときは、人気のない時間帯を選んでトイレに行ったし、水泳の授業には剃毛までした。
小学校5年生になるころには、僕の陰毛はもはや産毛ではなく、とても簡単にごまかせる?ような状態ではなくなった。
そして、小学5年生の5月に僕の秘密はとうとう友達にばれることになってしまった。
友人のs君が学校の帰り道に「エロ本」を入手し、そのままs君の家へ行き、”エロ本鑑賞会”になった。
友達4人と「エロ本」を読んでいると、ヌード写真に免疫のない僕らは、当然みんなで勃起してしまった。
すると、k君が「誰のが一番大きいか比べようぜ!」と言い出した。
この瞬間、僕は「やばい!」と思うと同時に「チン毛の秘密がばれる」のを覚悟した。
k君は自分のイチモツに自信があったみたいで、さっさとパンツを脱いだ。
そして、s君もw君もパンツを脱ぎ、残るは僕だけとなってしまった。
僕は覚悟したとはいえ、まだ恥ずかしかったので、パンツを脱ぐことに躊躇していると、k君が後ろから僕のパンツに手をかけた。
当然、僕のイチモツとちん毛はご開帳となった。
この時、みんなが呆然としたのは言うまでもなかった。
これ以来、僕は「ジャングル大帝」と影で呼ばれるようになった。
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December 30, 2014, 2:48 pm
中1の時に初めてトランクスの存在を知りました。
白ブリーフしか知らなかった私にとっては,トランクスを履いている人が大人っぽく見えました。
その時は8:2でブリーフ派が多かったでしょうか。
中2の時同じクラスになったA君の影響でトランクスも履くようになりました。
2学期になり,生徒会の役員になったのですが,同じ役員のB君が学校内でも有名なキャラクタートランクス派で,持ってるトランクスがすべてキャラクター柄でした。
それに影響されてか,会長のC君を中心に何人かで柄を競うようになりました。
ちなみに,B君はよくその日のトランクスの柄を自慢してました。
この時点で5:5の割合で半々になったと思います。
中3になると9.5:0.5でトランクスが大多数となりました。
勢いは止まらず,勃起したペニスをトランクス越しに自慢したり,女子の方から「今日はどんなトランクス?」などと尋ねてきたり。
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December 31, 2014, 5:26 pm
先日,海岸にバーベキューに行った後,友達が「風呂に入って行こう。」と誘ってくれました。
その友達にはM君(高2),Y君(中3),H君(中1)という子供が3人います。
以前,子供たちとは毎週の様に一緒にスーパー銭湯や温泉に行っていましたが昨年の2月を境に約1年半一緒には入っていません。
その頃のY君とH君は全く発毛していなくて,特にH君はまだ小5だったので体の割には大きめですが,真っ白な可愛いちんちんをしていました。
『久しぶりに2人のちんちんが見られる。』
期待をしながら温泉へと向かいました。
まだ体が小さくて小学生と言っても通る様な2人ですからもしかしてまだ生えていないのかな?
いや,Y君はもう中3なんだからこいつは生えてるだろう,などと想像していましたが…。
洗い場の腰掛に座った鏡に映ったY君の姿を見ると,もうしっかりと生えていました。
「さすがに中3だものな」と思いながらよく見てみると,先の方が少し剥けかけていて亀頭が顔を出しているではありませんか。
小学生の様な体つきと顔つきをしたY君が毛はともかく剥け始めているのには驚きでした。
私自身も中学生では剥けなかったのに…。
そして更に驚いたのはH君の方でした。
まずは,H君の成長したちんちんに驚きました。
大人顔負けの大きくて太いちんちんで,以前の真っ白で可愛いちんちんからは想像もつかないものでした。
そしてうっすらと毛も生えていました。
「H君も成長したんだな。」と思いながらよく見ると,なんとH君まで剥け始めていて亀頭が顔を覗かせているではありませんか。
まだ毛も生え揃っていないのに本当に驚きでした。
でもこんなH君ですが,未だに私の前でちんちんを隠すことなく堂々と見せている姿には思わず笑ってしまいました。
身体は成長しても感覚は小学生のままなんですね。
脱衣所でもう一度2人のちんちんを確認しました。
やっぱり剥け始めていました。
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January 1, 2015, 11:56 pm
僕は現在G県のM高校にかよう高校生で、剣道部に入りました。
入部して初めて部室に入った時、数人の先輩が素っ裸でいたので、ビックリした。
その素っ裸の先輩は僕に気づくと、そのまま僕に「こんにちは」と言い、自己紹介してきた。
僕は目のやり場に困ったのは言うまでもなかった。
ちなみにその先輩のおちんちんは包茎で、僕も仮性包茎で普段から皮が被っていたので、少し安心した?
1年生は6人が入部し、仲が良くエロ本やアダルトビデオを回し合っていた。
先輩にも勧めたが、エロ本やアダルトビデオに関心を持つ先輩は少なかった。
当時は進学校だけに、まじめなんだろう?と思っていた。
先輩はみんな優しい人が多かったが、部室では先輩が素っ裸でいることが多く、入部した数日は戸惑った。
また、袴をはく時、先輩全員がパンツを脱いで袴をはいていた。
しかし、僕たち1年生は恥ずかしかったので、パンツをはいて袴をはいていた。
5月に新人戦があり、その前日にミーティングをしたが、主将から「個人戦の1回戦で負けたら、腋毛とチン毛の悌毛だ!」と言われ、僕たち1年生は必死になって新人戦を戦った。
幸い、僕は1回戦を勝てたので、悌毛の罰を逃れることができたが、4人の1年生が悌毛の罰を受けることになった。
部室にはシャワー室があり、そこで悌毛の罰が実施された。
4人は恥ずかしながらも、素っ裸にさせられると、シェービングクリームを塗られ、ジョリジョリと2年生に剃られた。
N君は毛深く、胸毛もあったが、その胸毛まで剃られた。
この罰から逃れられた僕とS君は、笑いながら同級生の悌毛を見ていた。
6月になると、3日間の学校での合宿があった。
初日の夜、僕たち1年生は先輩の部屋へ一人ずつ呼び出された。
先輩の部屋に入ると、先輩は全員素っ裸でビニールマットが敷いてあった。
ドアに鍵がかけられると、僕は素っ裸にさせられ、口にはタオルを詰められ、先輩にサラダ油を塗られボディマッサージを受けた。
恥ずかしながらも、気持ち良く、僕のちんちんは勃起してしまった。
すると、先輩たちはすかさず、僕のおちんちんをマッサージしはじめた。
童貞の僕は当然、あっという間にイッてしまった。
これは「筆おろし?」と称する儀式で、剣道部の伝統とのことだった。
この後、僕たち1年生も、袴をはく時、パンツを脱いではくようになり、人前で素っ裸になることに抵抗がなくなった。
夏休みになると、2週間の合宿があった。
合宿では、いろいろなカリキュラム?があった。
練習では、グランドでのフルチンマラソンがあり、マラソンのビリはグランドの真中での公開オナニーの罰というのもあった。
練習が終わると、お風呂での先輩へのボディマッサージもあり、先輩のちんちんが勃起すれば、マッサージして射精のお手伝いをするのであった。
合宿も前半が終わる日、なぜか僕たち1年生はその日1日中、パワーアップと称して朝から食べ物をやたらと食わされ、また、やたらと水分をとらされた。
コーラもたくさん飲まされた。
当然、お腹を壊すわけで、その日、1年生はトイレに行きっぱなしだった。
グランドではトイレも少なかったので、トイレが足りなくて、バックネット裏の草むらで用をたすこともあった。
1年生はみんなアナルが痛くてたまらなかった。
その夜、僕たち1年生は風呂に呼ばれた。
入る時はまた「筆おろし」をしてもらえるのかと思ったが、まったく違った。
今度は「処女喪失?」だった。
先輩たちは当然素っ裸で、僕たち1年生を襲い始めた。
まず素っ裸にさせられると、アナルに浣腸がささった。
夕ご飯を食べた後だったので、たまらずトイレに駆け込んだ。
トイレから出てくると、シャワーでアナルをきれいに洗うと、サラダ油を塗ってボディマッサージを受け、そのまま先輩たち全員はコンドームをつけ、一人ずつ1年生のアナルに挿入し、バッコンバッコンと1年生の処女?を奪った。
ちなみに僕はあまりの気持ち良さに、ところてんを経験してしまった。
これ以来、部室で僕たちは先輩にアナルを提供することがよくあった。
どおりで先輩たちがエロ本やアダルトビデオに関心がないのか、この時になって始めて理解できた。
そう先輩たちは、男好きなのであった。僕たち1年生も、男好きにさせられた。
ちなみに、この儀式は先輩への絶対服従を誓うもので、翌年は僕たちも後輩に行った。
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僕が小6の頃,今から30年前の話になります。
当時ぼくは,生活に変化があったりしたりすると,よく便秘になったいました。
そのころ,ませていた僕は便秘になっても家にあった便秘薬を飲んだり,家にあった医学書を読んだりして自分ひとりでなおしていました。
また家の薬を誰に見つからずに飲んで直っていたんです。
修学旅行は,一日目は楽しく過ごせました。
二日目朝トイレにいっても出ません。
その日は一日ウンコが出ずに気分悪く夕方になって旅行から帰ってきました。
その晩,家にあった薬を飲んでこれを飲めば直ると信じ寝ました。
朝起きても,ウンコが出ません。
その日は学校が休みだったので,母親にうそをいって相談しました。
本当のことをいえば浣腸をされると本にかいてあったので,すこしオシッコの出が悪いといいました。
僕は母親が優しい言葉をかけて薬でも買ってきてくれるのかと思いましたが,母親は,僕の意に反して僕を車に乗せて泌尿器かに連れて行ってしまいました。
病院に入ると母は受付で僕が言ったことをいい診察室に僕と一緒に入りました。
年配の看護婦さんは隣に母親がいるのに構わず,診察台の上に寝ている,僕の半ズボンをブリーフを脱がし下半身裸にして,先生の来るのを待っていました。
先生がやってきて僕のチン子とたまたまを触りながらいろいろ質問します。
「どこかいたいところはないかね,」
チン子のつけ根を見ながら大きな声で「お,生えとる。生えとる。」と大きな声で言います。
僕はその頃第二次成長期の始まりだったのですごく恥ずかしかったのを今でも覚えています。
そのうち一番,恐れていたことが起こってきました。
そうです,とうとう勃起してしまったのです。
朝立ちみたいにビンビンにとうとう僕が我慢しきれず,正直に便秘のことを白状しました。
当然,浣腸されたことはゆうまでもありません。
母親に一番恥ずかしい,チン毛の生えかかったチンコをご開帳し,おしりの肛門まで全開した僕はそれ以降,母親に,逆らうことができません。
僕が逆らおうとすると,昔の話を持ち出し,「元気のいいちんちんだったね。」いまだに,当時の話をばらそうとします。
僕は今,42歳,妻も子供もいます。
母は67歳元気です。
↧
↧
勃起したチンチンを銭湯でさりげなく他人に見られる事に喜びを感じてしまった僕は、中学に進むと、さらにその傾向は進歩を遂げました。
中学生になると、僕の性的発育はさらに加速し、チンチンは以前にも増して大きくなり、袋の中の睾丸も大きさを増しました。
そして、ついに、ついに、うっすらと生えてきたのです。
待望の発毛が始まったのです。
そして、勃起すると皮が後退し、ピンク色の先端が少し顔を出すようになりました。
それは股の間から小さな塔のようにそそり立ち、その根本をうっすらと生え始めた春草が飾っている、といった構図でした。
僕はその構図が何よりも気に入り、ますます勃起させて楽しむようになったのです。
さらに、自分のチンチンにだけでなく、同年輩の友達のチンチンにもたまらないほどの興味を抱くようになっ行きました。
六年生の初期には銭湯に出張して、勃起チンチンをさりげなく公開してはゾクゾクする喜びを感じていたのですが、チンチンがさらに発育してくると、さすがにそそり立っているチンチンを見られる事の恥ずかしさに耐えられず、それでも、恥ずかしいからこそ、見られたい、という欲求も増し、「見られるのが恥ずかしい」「恥ずかしいからこそ、見られたい」というジレンマにかられ、悶々と悩んでしまったのです。
中学の入学式の次の日、生徒会の総会、というのが開かれ、壇上に並んだ三年生の役員たちを見て、僕は腰を抜かす程驚いたのです。
何と、副会長のMさんという生徒は、僕が銭湯で二回目の勃起興行を決行した日に、僕に衝撃を与えるほどの素晴らしいチンチンを見せてくれ、しかも僕の勃起もチラチラと見てくれた、あの賢そうな顔つきの中学生だったのです。
背丈は三年生の中では小柄でした。
賢そうで、凛々しく、眼のキラキラしたとても魅力的な三年生でした。
僕はMさんの、生え具合から、チンチンの太さから、タマタマの大きさまで知っているのです。
「誰も知らないMさんの秘密を、僕だけは知っている!」と僕は嬉しくなってしまったのです。
この後、Mさんは僕の熱烈な片思いの恋人になってくれました。
それからすぐに、僕は初オナニーを体験するのですが、人生の最も記念すべきその時、Mさんはぼくの「おかず」になってくれたのです。
もっと欲を言えば、Mさんから、オナニーの手ほどきを受けたかったのですが、世の中そんなには甘くはありませんよね。
何事も希望通りには行かないものです。
僕は毎日のようにトイレや風呂場や、眠りに入る前の蒲団の中で、チンチンを弄っては勃起させ、眺めて楽しんだり、握り締めて疼くような快感を覚えていたのですが、何と、中学に進学してからも、思春期の必須科目で、チンチンの最も有効的活用方法であり、覚えたらやめられなくなる程素晴らしく、知らなければ絶対にソンで、知らないのが不思議なくらいで、しかも一銭もお金のかからない素晴らしい遊びである、「オナニー」のやり方を知らなかったのです。
でも、知らないからほっぽっておいた、というワケでは断じてなかったのです。
僕は必死にそのやり方を知ろうと日夜奮闘努力をしたのです。
学校の図書室で文献をあさって独習に励んだのですが、どうしても、具体的な実践方法を拾得するには至らなかったのです。
オナニーとは「ペニスを自分で刺激させ、射精する事」であり、「身体には決して害が無いので悪い事ではない」という程度の知識は勿論小学生の頃から知っていたのですが、では、どうして刺激させるのか、という具体的な方法は考えつかなかったし、僕の読みあさった文献には載っていなかったのです。
「自分で刺激するって書いてありましたが、どんな方法で刺激するんですか」と子供電話相談室に聞いてみたいと思った程、そのやり方が思いつかなかったのです。
友達との会話の中で、その話が出ると、僕は全神経を集中させて、情報の収集に当たりました。
「ピストン運動だよ」とか、「摩擦だよ」なんて友達は話しています。
「週に何回する?」なんて聞かれると、少しドキッとなりながら、さりげなく「僕なんか毎日さ…」なんて誤魔化していたのです。
「ピストン運動」「摩擦」キーワードはこの二つなんだ、と僕は思いました。
でも、そんなヒントまで与えられながら、僕にはどうしてもその謎が解けなかったのです。
一人でお風呂に入って、ピンピンに勃起させ、握りしめると、確かに疼くような快感がそこから湧き上がっては来るのです。
それをそのまま、握ったり離したりして続けていれば、あるいは射精までイッタのかも知れませんが、「これは正しいやり方ではない。もっと違う、正しいやり方があるはずだ」と僕は思い、何事も「正しく正確にやる」事をモットーとしていた僕はそこで打ち切ってしまうのです。
そして、そそり立ってピクピクと小刻みに震えているチンチンを、為すすべもなく、ただ眺めているだけでした。
「今日こそ出してやる、今日こそ出してやる」と心に決めて、毎日毎日弄るのですが、どうしてもやり方が解らなかったのです。
でも、神様はこんな哀れな僕にも、夢精という素晴らしい快感を恵んでくれたのです。
陰毛も生え始め、チンチンもより太く大きくなり、睾丸も大きくなったのを契機に、僕の精子製造工場は大量フル生産に乗り出したのですが、オナニーを知らなかったので、精子の在庫は増え続け、倉庫は満杯になり、ついに夢の中で製品を出荷させる事にしたのでしょう。
僕の身体の内部での、そんな詳しいいきさつはともかく、夢精での快感は強烈でした。
ほとんどは同年輩の男の子の夢での射精でした。
クラスで気に入りの男の子に後ろから抱きついた瞬間とか、学校のグランドで近所の六年生の男の子が素っ裸で立っているので、どうしてこの子は素っ裸なんだろ、と思った瞬間とか…。
そんな瞬間に強烈に射精するのです。
多くの男の子が僕の夢精に無料出演してくれたのですが、ついに極め付き、生徒会副会長のMさんさんまでも特別出演してくれたのです。
それは、今でも印象に残っているとても奇妙な夢でした。
その頃まだ行った事の無かったレストランという場所に、僕は夢の中で一人で行ったのです。
すると、学生服を着たMさんも現れたのです。
Mさんはスタスタと地下の階段を下りて、レストランの調理場に行き、僕もその後からついて行きました。
すると、Mさんは素っ裸になって、調理場の大きなまな板の上に仰向けに寝たのです。
まな板の上に載ったMさんの白い裸像は、鮮やかに僕の目に映つりました。黒い陰毛と、白くて太めのチンチンまではっきりと眼に入ったのです。
僕はすでに銭湯で見たMさんの現実の裸身を頭脳にインプットしていたので、夢の中でも寸分違わず再現する事が出来たのです。
すると、奥から白い服を着たコックさんが細長い包丁を持って現れたのです。
「ああ、Mさんが料理されるんだ」と思った瞬間、強烈に射精したのです。
後になって、三島由紀夫の「仮面の告白」の中に、これと全く同じ描写があるのを読んで、僕は驚いたのです。
僕は三島由紀夫と全く同じ夢を見た事になるのですが、あるいはその頃、学校の図書室にこの本があって、それをぱらぱらとめくっていて、その描写の所だけが目に付き、そこだけ読んで、その小説の作者もタイトルも忘れ、そのシーンだけが頭の隅に残っていたので、そんな夢を見たのかも知れません。
その夢精は僕に強烈な印象を残しました。
誰にでも、多少の加虐趣味のようなものがあると思いますが、僕も、Mさんに愛されたい、と思う反面、Mさんが素っ裸にされて誰かにいじめられているを見てみたい、なんていう欲望も、なんとなく有ったのです。
思い焦がれているMさんが、素っ裸でまな板に横たわり、長い鋭い包丁を持ったコックさんから、いま、まさに料理されそうになる、なんていう構図は、夢精の醒めた後から思い返しただけでも、ゾクゾクする程の興奮を覚えるのです。
それだけでなく、自分自身にたいする被虐的な思いも少しはあって、Mさんに素っ裸にされ、木に縛り付けられてチンチンを弄られ、勃起させられたい、なんていうシーンを思い描く事もよくあるので、僕も素っ裸になってMさんと並んでまな板の上に仰向けになり、あの長い包丁でMさんと一緒に料理されたかった、なんて思って興奮してしまったのです。
どんな料理にされたかったか、とまでは考えませんでしたけど…。
その夢精をきっかけに、僕の「勃起チンチン一般公開」への欲望と情熱はまたしてもムズムズと頭を持ち上げて来たのです。
オナニーを知らなかったので、積もり積もった性的欲求不満は、「露出願望」へと吐け口を求めていったのですね。
四月の終わりの、晩春の爽やかな日曜日の夜、僕は三度目の「公開興行」に向け、颯爽とチャリンコを走らせて行ったのです。
六年生の時は発毛していなかったので、つるつる勃起チンチンだったのですが、今度はうっすらと生えた陰毛というオマケ付きで、しかも、六年生の時より一段と発育したチンチンを勃起させて公開するのです。
僕は張り切っていました。
公開場所は、Mさんと会った事のある、大通りに面した豪華版銭湯と決めました。
再びMさんと会え、あの素晴らしいチンチンを見ることが出来るかも知れない、という期待も多分に有ったのです。
銭湯は混んでいました。
脱衣室で服を脱いで浴場に入って行きました。
脱いだときから半勃ちの状態でした。
六年生の時は、最初から勃起を公開したのですが、さすが中学生なって少しは警戒感も持つようになりました。
まず、知って居る大人の人が居ないかどうか確認する必要がある、と感じ、プラスチックの桶で前を隠しながら入って行ったのです。
湯船には大勢の人が入っていて、広い洗い場もみんな塞がっていました。
人々の話し声や、水の音が勢いよく反響して賑やかでした。
ふと、洗い場を見て、僕は卒倒するほど驚いたのです。
思わず「あっー」と声を上げてしまったのです。
な、な、な、な、な、なんと、僕より先に、勃起チンチンを公開している中一の男の子が居たのです!!!!!。
なぜその男の子が中一だとわかったかというと、僕と同じクラスの男の子だったのです!!!!!!。
その男の子は洋ちゃん、という、僕のお気に入りの同級生でした。
肉付きのいいぽっちゃりとした身体つきで、とても可愛い顔をしていたのです。
僕たちはまだ、言葉を交わした事はなかったのですが、僕はこの洋ちゃんとは絶対に友達になる、と心に誓っていたのです。
同級生の中で真っ先にチンチンを見たい、と思っていたのは、この洋ちゃんだったのです。
その、洋ちゃんが、洗い場で勃起させて立っているのです。
洋ちゃんは、お父さんらしい精悍な身体つきの人から洗って貰っていたのです。
お父さんは(だと思う)洋ちゃんを立たせて、洋ちゃんの足の辺りに石鹸を付けたタオルでごしごしと擦っていたのです。
洗って貰っているうちに、洋ちゃんは勃起してしまったのでしょう。
その原因は、自然勃起か、あるいは父さんが洋ちゃんのチンチンを洗い、その刺激で勃起してしまったかは不明ですが、洋ちゃんはそれを隠そうともしないで平然と突っ立っているのです。
洋ちゃんのチンチンはぽってりと太く、僕のものより、少し色づんでいて、根本はかなり発毛していました。
チンチンはぴーんと立って、何と青い血管を浮き上がらせて、怒ったように天井を向いているのです。
先っぽが少し剥けて、ピンク色の亀頭が見えました。(僕と同じ状態)
中学生にもなって、父さんから身体を洗って貰っている洋ちゃんも洋ちゃんなら、洗ってやっている父さんも父さんです。
しかも、勃起を隠そうともしないで平然と洗って貰っているのです。
僕が驚いて眺めていると、洋ちゃんは僕に気付き、何と、片手を挙げ、ニッコリと微笑んだのです。
後でわかったのですが、洋ちゃんは一人っ子の甘えん坊で、頭はよく、成績はクラスでトップクラスだったのですが、性格はおっとりとしているというか、幼稚というか、天真爛漫というか、とにかくそんな性格で、要するに思春期特有の羞恥心というものが欠けていたのです。
だから、洋ちゃんの勃起チンチン公開は、僕のように、見られる事への歓びといった性的興奮を伴う意図的なものではなく、見られても平気、平気、気にしない、気にしない、何で勃起が珍しいの?生理現象じゃん…、といったおっとりとしたものだったのです。
洋ちゃんはそうでも、僕に取っては青天の霹靂でした。
好きだと密かに思っていた洋ちゃんが、チンチンを勃起させてドッカンーと目の前に現れたのですから、腰を抜かさんばかりに驚いて、胸をドキドキさせながら、ポカーンとその見事な勃起を眺めていたのです。
洋ちゃんに勃起チンチン公開を先取りされてしまった僕は、すっかり気落ちし、それに、洋ちゃんに僕の勃起を見られる事への恥ずかしさも多分に手伝って、その日の公開はあきらめたのです。
でも、洋ちゃんの勃起目撃という、願ってもない光景を眼に納めて、僕は大いに満足したのです。
それから、僕たちは仲のいい友達になり、洋ちゃんは僕の性長にとって大きな役割を果たしてくれることになるのです。
僕は洋ちゃんからあれほど知りたかった「オナニーの正しいやり方」を教えて貰い、相互オナニーを経験し、それとは別に、「勃起チンチン公開」を別の方法でするようになるのですが、その事はまた書かせて貰いたいと思います。
↧
僕はマセたガキだったので、小学校5年生のころからオナニーを始め、普段から剥き癖をつけるようにして、早く「ズル剥け」になろうと努力していた。
しかし、包皮がかなり余っていたため、「ズル剥け」になる気配はまったくなかった。
勃起しても、包皮は十分に余っていたので、すぐかぶってしまった。
中学生になると、僕は水泳部に入ったのだが、先輩のHさんのビキニにくっきりと「亀頭のカリ」が浮き出ているのが、羨ましかった。
僕も包皮を剥いて、ビキニをはいていたが、すぐ戻ってしまったし、毛を巻き込んで包皮を切ってしまうことも多かった。
同級生の中にも、ズル剥けのやつがいて、悔しかった。(本人は恥ずかしがっていたけど…)
中学3年生になっても、僕のちんちんはまだ包皮がかぶっていたので、「包茎手術しないと剥けない?」と思い始め、焦りだしていた。
秋の修学旅行のときは、風呂に入る前にきちんと包皮を剥いたのにもかかわらず、すぐかぶってしまい、友達から「ひょうたん」呼ばわれした。
特に僕のおちんちんは、小さいころから剥き癖をつけていたし、オナニーするときも素手で直接亀頭をしごいていたので亀頭はかなり発達していた。
そのため、その亀頭に包皮がかぶるとかなり不格好で、ひょうたんのようなおちんちんになってしまっていた。
しかし、中学3年生の冬にとうとう「ズル剥け」になることができたのであった。
このころ、僕の身長は急激に伸びて、3ヶ月で15センチも伸びたのであった。
そして、伸びたのは身長だけでなく、おちんちんも急激に発達した。
勃起時に15センチぐらいだったおちんちんが、なんと22センチにもなった。
この時は本当にうれしかった。
これ以来、おしっこをするときも、少し小便器から離れて、隣の人に自慢するように見せながら、おしっこをするようになった。
ただし、「ズル剥け&巨根」になったは良かったけど、その反面で水泳を続けるのは断念せざるを得なくなってしまった。
競泳用ビキニパンツに収まらなくなってしまったからである。
↧
僕が射精をしたことがあるのは中2の時です。
よく覚えてます。修学旅行で最終日の夜でした。
僕は結構まじめにすごしてきたわけでしたが、修学旅行のグループの奴らが僕をかえてしまったのでした。
グループがもういやらしい奴らだった。
部屋に堂々といやらしい本をもってきてみていた。
そして、リーダー格の奴が俺がオナニーやるからみんなやれというのだ。
はじめなんだと思っていたが、みんなはやりはじめたが、僕はそのまま見ていた。
そしたらみんなが俺をひっぱりだし、ズボンを下ろし全員で僕のあそこを握り上下運動を初めてしまった。
おいおい、と思ったが僕は気持ちがよくなったので、思いっきりでてしまった。
そのあとみんなも一人一人づつ握り上下運動し、やっていった。
それから僕は毎日のようにやっている。
↧
皆さんは水着を履き始めたのはいつ頃からでしょうか。
普通,幼稚園ぐらいからだと思います。
そして,小学校に入ると,学校指定の「スクール水着」なるものを買わされました。
その水着は非常にダサい短パン型の紺色の水着でした。
小学低学年というと,まだペニスはとても小さくて短パン型でももっこり感がありません。
それでやっと小学5年になる頃,パンツ式の普通のスクール水着になりました。
その頃になると毛も生え始め,ペニスも成長し,オナニーも体験する人もいた事でしょう。
俺は中学になってからでした。
水着を通してもっこり感が出てきている人もいました。
ちょうどその頃俺はスイミングスクールに通っていて,競泳パンツを履かされだいぶ小さくなり,色も紺から,紫色に変色してきてかなり使い込みました。
スクール水着よりも競泳パンツの方が履き心地が良く,学校でも競泳パンツを履ければなあと思いました。
そして,中学に入ると,水泳部に入りましたが,水泳の授業の時は学校指定のスクール水着を履かされました。
そこで,大きな変化がありました。
水着購入場所に水着や帽子,ゴーグルに加えて,「サポーター」が販売されていて,何とサポーターを買ってる人の多さにびっくりしました。
俺も一応,みんな買ってるのだから買いました。
水泳の授業になると着替えるときにみんなは白いサポーターを必ず履いていました。
かなりみんなガードが固くなってきました。
それはおそらく,もっこりしてきたからだと思います。
それに女子と合同なので・・・。
サポーターを履くとみんなのがどうなってるのかが良く分からず,つまらなかったです。
一方,水泳部ではサポーターは一切禁止で,競泳パンツでサポーターを履くというのはタブー視されていました。
高校・大学は一切自由で,競泳パンツ(モッコリしたパンツ)を履きました。
↧
↧
January 8, 2015, 12:33 pm
ぼくは、今高校2年です。ぼくも、小学生の男の子が大好きです。
この前の土曜日、我が家に小6の弟の友達が3人遊びに来ました。
いつもは弟の部屋でゲームをして遊び、とてもにぎやかなのですが、その日は部屋に閉じこもったきりやけに静かでした。
ぼくは、基本的に弟の友達に興味がありましたから、彼らが家にやって来た時には、仲間に加わります。
いつものように、弟の部屋のドアを開けようとノックをすると中から、「あっ、やばい誰か来たよ。」と、声がしました。
ぼくがドアを開けると、友達の中の一人が弟を含めた3人の男の子達に抑えつけられていました。
よく見ると、スボンと下着を脱がされているではありませんか。
「お兄ちゃん、こいつ家に初めて連れてきたんだ。弱っちいから、何をされても黙ってるんだ。今、こいつの身体検査してるとこ。」
弟にそう言われて、「おい、よってたかって可哀想じゃないか・・・。」と、言ってはみたものの、一緒になって検査に加わってみたい気持ちの方が勝ってしまったのです。
あらためて確認すると、大人しそうだが結構可愛い顔をした男の子だったのです。
「お兄さん、こいつのチンポ立ってるんだよ。今ちょっと俺がもんでやったら立っちゃったんだ。こいつエロでしょう?」
ぼくは、この子の勃起したチンチンに目が釘付けになってしまいました。
勃起の先っちょは、亀頭の部分が完全に顔をかくしていました。
弟を含めた悪ガキ共の餌食になってしまった男の子の姿は本当に哀れでした。
ファンヒーターをガンガンつけているせまい部屋なので、室温は暑いぐらいでした。
悪ガキ共は男の子の上着もはぎ取って、ソックスだけをはかせた準全裸状態にしてしまいました。
「今から、プロレス大会を開始します。・・・カーン。ゴングが鳴りました。」
裸の男の子に対して、三人の代わる代わるの攻撃が始まりました。
チョップをしたりキックをしたり、ヘッドロックをしたり・・・。男の子の体をひっくり返して、むきだしの性器への”電気あんま攻撃”もなされました。
弟たちは、「ケラ、ケラ」笑いながらプロレスごっこを楽しんでいました。
「兄ちゃんは、レフリーしてね。」
そう言われても、どうにも悲惨な男の子の状況でした。
これは、まさに「いじめ」の世界と言えます。
男の子も少しずつ反撃をしているようですが、全裸の状態といのは、なんとも心細いものでしょう。
一番体格のいい、T君が登場しました。
彼は、男の子を組み伏せ、背中にのっかり、エビ反りの攻撃を仕掛けました。
両脚をグイッと上方に持ち上げられ、後ろから見ると男の子のチンチンとキンタマの入った袋が重力に逆らえずに、おへその方にくっつくように垂れ下がっています。
「ギブアップ。ギブアップ。」
背骨の痛みに耐えきれず、男の子のすがるような声が発せられました。
「バカっ、ギブアップは無しなの。おまえもちょっとは反撃しろよな。」
T君が攻撃を止めて、続いてJ君の攻撃が始まりました。
男の子も「小柄なJ君が相手なら」と思ったのか、抵抗し、J君とがっぷり四つに組みました。
二人は両脚を開いて、前かがみになり肩を組み合ったまま一歩も動きません。
二人とも表情は必死でした。
しばらく、二人の拮抗した状態が続いた後、沈黙を破るように、
「生意気なんだよ。てめえはよぅ。」
いつの間にか、男の子の後ろに回っていたT君が、開いて踏ん張っている両脚の間から手を伸ばして、その間でぷらんぷらんと揺れていたキンタマを手のひらに包んで力任せに「ギューッ」と握りしめたのでありました。
「うんぎゃーっ。」
生身のキンタマを直接握られた男の子は、ネコが尻尾を踏まれた時のような叫び声を上げて、両脚を閉じてその攻撃から逃れようともがきました。
T君は男の子の痛がる様子を見て面白そうに笑いながらも、決してキンタマを掴んだ手を離しませんでした。
「やめろ、やめてやれ。痛がってるよ。」
ぼくは、男の子の痛がる様子に危険を感じてT君に攻撃を止めるよう命じました。
「だめです。お兄さん、俺、こいつの玉つぶして女にしてやりたいんです。ほらっ、おい、脚閉じるなよ、掴めねぇじゃないかよー、バカッ・・・。おい、みんなこいつの脚開けろよ。」
二人は、T君に協力して男の子を押し倒し、両脚をそれぞれが一本ずつ持って、左右に開きました。
その一瞬、再びT君の手が男の子の急所を捕まえたようでした。
「サンキュー。やっと捕まえられたぞ。ほらっ、くらえ。」
「うわっ、・・・痛い、痛い、・・・止めて、痛い、許してっ・・・。」
「こいつの玉、袋の中でコリッ、コリッて動くんだ。強く握っても、なかなかつぶれないみたいだよ。」
「おいっ、ほんとにつぶしたら大変なことになるぞ。」
「お兄さん、ジョークですよ。ジョーク。ほんとにつぶすわけないでしょ。」
T君は、やっと男の子のキンタマから手を離しました。
「おえっ、こいつのキンタマ握ったら、手が臭くなっちゃったよ。ねえ、Yちゃん(弟の名前)洗面所で手を洗わせてね。」
ぼくは、屈辱と急所を握られた強烈な痛みを味わい、ポタポタと大粒の涙を流している男の子の側に近付き、
「みんなひどいことするねえ。ぼくの弟まで加わって、本当にごめんね。」
ぼくは、ずっと見ていながら、その陰惨な行為を止めることのできなかった自分自身に罪悪感のようなものを感じていました。
そう思いつつ、すっかり勃起してしまっている自分自身に対しても・・。
「ここ、何ともないかい?」
ぼくは、そっと男の子のキンタマに触れていました。
「つぶれてないよね。・・・ちょっと調べさせてね。」
手の指で玉の一個一個を調べてみました。男の子の生の性器を触るのは全く初めての経験なのでドキドキしました。
「ずいぶんやわらかいんだね。大丈夫、つぶれてなんかなかったよ。」
男の子のオチンチンはショックですっかり縮んでしまっていました。ぼくは、そのオチンチンも摘んで、
「オチンチンも大丈夫だったかい?強く握られていたでしょう?」
皮を被ったままの亀頭の部分を摘み上げ、上下や左右に動かして傷がないか調べてやりました。
「この際だ。」と思い、厚かましく包皮をムキ上げてもみました。
小さく縮んでしまっていたオチンチンの包皮は、クルクルと意外に簡単にムクことができました。
男の子は、きっと「お兄さんまでおかしなことをするなぁ・・・。」と、思ったに違いありません。
ぼくは、男の子に下着とズボンをはかせてやりました。
男の子は、上着を着ると逃げるようにして、ぼくの家を飛び出して行きました。
ぼくは、その子が帰った後、弟たちに「いじめは、いけない」と、きつく注意しました。
しかし、ぼくの興奮は冷めず、その日の晩はその男の子の様子を思い浮かべながら、3度もオナニーしてしまいました。
また、その子を弟たちが家に連れてこないかと、ぼくは秘かに期待しているのかもしれません。
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January 10, 2015, 2:04 pm
「おまえ、まだ生えてなのかー」
中3の修学旅行の風呂で、「タオル下げ隊」と称する3、4人が、人のタオルを下げて毛や一物の状態を見て楽しんでいましたが、私もその人達の餌食となってしまい、必死に隠していたタオルを取られてしまいました。
実は、私はこの頃はまだ生えていませんでした。
それがばれてしまい、その3、4人のみならず、クラス中の男子から「つるチン」などと冷やかされる羽目になってしまいました。
ちなみに、この時生えていなかったのは、私ともう一人だけでした。
しかし、そいつははじめから隠さずに堂々としていましたので、あまり馬鹿にされませんでした。
そして、部屋に戻り、寝ようとしたら、また「タオル下げ隊」が乱入してきて、またしても脱がされてしまいました。
そして、今度はそのリーダー格の男がパンツを脱ぎ、私の目の前にさらけ出しました。
そして、「悔しかったら、これくらいにして見ろ」と言ってきました。
そいつのは、毛はかなりの剛毛で、しかも既に剥けきっていて、大人顔負けの状態でした。
一方の私は、毛もなく、包茎で、しかも小さかったため、完全に親子ほどの差がありました。
そして、部屋の他の連中に見られる羽目になり、本当に恥ずかしかったです。
ところで、本題の私の発毛ですが、皮肉にも修学旅行から戻ってきて、2週間後に産毛のようなものが生えてきました。
でも、あまりにしゃくだったので、全部剃ってしまいました。
そして、普通の毛になったのは、夏頃でしたので、水泳シーズンには、問題なく生活できました。
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January 11, 2015, 8:47 pm
僕が初めて射精をしたのは中学1年生のときです。
部活で帰りが遅くなって真っ暗な中を一人で帰ってるとなんか高校生くらいの人が突然「ちょっとこっちにこい」といって近くの公衆便所の中に押し込まれた。
すると突然その人がズボンとトランクスを一緒におろして「これ、にぎれ」といった。
いわれたとおりにしてると、「あぁ..うっ」と変なことを言い出して「やっぱりなめろ」といいだした。
もうすごくおびえていたからいわれたとおりにするしかなかった。
そしてそのひとのあれを口の中に入れられてその人は体を上下に振っていた。
すると「あぁ..っ」といったかと思ったら突然口の中になんかどろどろしたものが流れ込んできた。
まだこのとき精液というものを知らなかったけど変なにおいがしたから吐き出してしまった。
そのあとで「今度はお前も脱げ」といってむりやり僕の制服を上下とも完全に脱がされて裸にされてしまった。
「あ、お前まだ剥けてなかったのか」とかいってむりやり皮をむかれた。
すごくいたかったけど、「大声を出したら殴るぞ」といわれたので痛みをずっとこらえた。
そして僕の亀頭のとこをこすったりして最後には口の中に入れられてしまった。
それでおちんちんを上下に動かされると、突然ドクッとした感じがしておしっこが漏れそうになった。
「あ、..もれる」といったけどかまわずになめられた。
すると亀頭の先のとこらへんからなんか液体が飛び出したような感触がして男の人が僕のおちんちんをすいだした。
そしたら「もういい、早く帰れ」といわれたからもう何がなんだか分からなくて僕は素っ裸のまま服を持ってはしりだした。
なんか恥ずかしくて親にも言えず後でそれが射精だということを知りました。
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January 17, 2015, 3:00 am
小学校6年生の夏に毛が生えてきました。
1歳年上の兄がいて、よく一緒にお風呂に入ってました。
その日も一緒にお風呂に入っていて、いつものように2人で体を洗いあっていました。
その時に兄が見つけたんです。
兄にはまだ生えてなかったんで、よっぽど悔しかったんでしょう。
そばにあった父の剃刀で、僕の毛を剃ってしまいました。
それからもずっと一緒に入ってましたが、しばらくはその繰り返しだったんですが、2・3ヶ月も経って、毛が濃くなってきた頃には剃るのをやめてくれました。
ちなみに、兄はその年の冬に生えてきたようです。
僕も仕返しに何度か兄の毛を剃ってあげました。
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January 18, 2015, 12:06 am
僕は小学校5年生のころサッカー部に入ってました。
結構部活が無い日もみんなで公園で集まってサッカーしてたり友達の家に泊まったりしてました。
その頃っていうとやっぱり性関係とか気になる時期じゃないですか。
それでそのころはやってたのが「セックスごっこ」です。
内容は、はじめのうちは髪の毛なでたり抱き合っているだけだったんですが、どんどんエスカレートしてって、ブリーフの上からあそこをなでたり、乳首なめたりするようになったんです(エロビデオの真似)。
その頃好きだった1つ下の男の子が一人でうちに泊まりに来た時、一緒にお風呂で生でもみあいました。
あれが一番気持ちよかったきがします。
「セックスごっこ」はそれからすこし続きましたが、6年のはじめごろ友達の一人が毛が生えてきてみせたがらなくなったことや、やってる現場で友達の親に見られたこともあって消滅しました。
今考えると赤面です。
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January 18, 2015, 12:25 pm
銭湯で同じクラスの洋ちゃんが、お父さんらしき人に身体を洗って貰いながら、平気で勃起させていた衝撃的な光景は、僕の頭にこびりついて離れませんでした。
それはうっすらと生えた股間から、先っぽのピンク色の亀頭を半分ほど覗かせ、青筋を立てて逞しくそそり立っていたのです。チンチンの色も肌の色よりは少し濃く、洋ちゃんの可愛い顔つきから僕が想像していたチンチンより、かなり大人びた感じでした。
そして、洋ちゃんはそれを隠しもせず、全く平気な顔で公衆の面前に露わにしていたのです。
そして、洋ちゃんの父親らしき人は、洋ちゃんの勃起が顔に当たる程の距離で、石鹸をいっぱいつけて、洋ちゃんの足を洗い、太股を洗い、お腹を洗い、胸の辺りを洗っていたのです。洋ちゃんの下腹部を這い回る父さんのタオルを持った手が、洋ちゃんの勃起チンチンに(偶然)触れる所まで、僕はしっかりと目撃してしまったのです。
その事もまた、ぼくにはかなり衝撃的でした。
その頃、僕はもう、父さんと一緒に入浴した事などあまりなく、父さんに発育したチンチンを見られる事に凄い羞恥心を感じていたので、洋ちゃんと父さんとの関係に、なんか、妖しいものまで感じてしまったのです。
数年前、僕はやはり銭湯で、少年時代のこの思い出と同じような光景を目撃しました。
銭湯に入って行くと、中一、二くらいの身体つきのいい少年が、洗い場に腰掛けて、後ろから父親らしき人から背中を洗って貰っていました。幼さの残ったちょっと可愛い顔つきの少年でした。
と、少年は股の間から、チンチンを直立させていたのです。その時は、日曜日の夕方で、かなり混んでいる時間だったのですが、(この銭湯はフツウの日はガラガラですが、日曜日は結構家族連れなんかで混むのです。)少年は全く平気で、隠そうともしないのです。
それも少年は鏡に向かって座って居るのではなく、鏡と平行に座って浴場の出入口のガラス戸に向かって腰掛け、しかもそれが浴場の出入口の近くでしたから、浴場に入って来る人は、まず最初に少年の勃起チンチンが眼に入ってしまうのです。
まるで、「いらっしゃいませ、まず手始めに僕の勃起チンを見て下さい」と言わんばかりです。昔の商店に飾ってあったという「招き猫」でなく「招きチンチン」といった感じでした。根本の陰毛はかなり濃くなっていて、チンチンも色づいていました。それが、まるで股の間からにょっこりと生えた植物の茎のように、硬くなってピクンと天井を指していたのです。
最初それは、わいせつ感というより、思わずクスクス笑ってしまうような、ユーモラスな光景に僕の目には映ったのです。
僕は少年の前を数回行ったり来たりしながら、存分に眺めさせて貰いました。でも、座っている少年の勃起を、至近距離で眺め下ろしたりしていると、身体中から性的欲望が切実に突き上げて来て、胸の締め付けられるような衝動に駆られ、僕の方も勃起してしまったのです。
僕は湯船に飛び込み、落ち着いて鑑賞を続けました。少年の背中を洗っている父親が、洋ちゃんの時のように、 少年を立たせ身体中を洗う光景を期待したのですが、さすがにそれはせず、父親が背中を流し終わると、少年は勃起させたままの状態で、僕の入っている浴槽に入って来たので、僕は真っ正面の至近距離からも勃起を鑑賞出来たのです。その後、少年が湯に湯に温まって浴槽から出る時には、勃起は収まっていました。そ
れでも、それなりに大きなチンチンでした。
洋ちゃんもそうですが、この少年も他人だけならともかく、父親にまで勃起を見られて、何の羞恥も感じないというのは凄く不思議です。チンチンがフツウの状態であっても必死に隠す少年もいれば、この少年や洋ちゃんのように、勃起しても隠さないという少年もいるのです。この少年も洋ちゃんのように天真爛漫な性格なのか、あるいは、少年時代の僕と同じように、「勃起チン公開願望」があって、その日がこの少年の「勃起チン一般公開」の日だったのかは、少年に聞いて見ないと確かな事は不明なのですが、可愛らしい顔つきで、肉付きのいい体格、
というのが洋ちゃんと共通しているので、あるいは性格的にも似ていたのかも知れません。
銭湯以外の場所で、偶然にも男の子のヌードを鑑賞する事の出来た、というとてつもないラッキーな話をついでに書いておきます。
これもつい二、三年ほど前の事ですが、ある用事があって、マンションに住むさる家庭を訪れた時のことです。
夕方でした。小綺麗なリビング・ルームのソファーに座って、その家の主人と話をしていた時、電話が鳴り、主人が取って、部屋の外に向かって
「ケンくん、ケンくん、電話、電話、〇〇くんから…」
と大声で叫んだのです。
しばらく間をおいて、廊下を慌ただしく駆けてくる足音がし、一人の六年生くらいの少年が部屋に飛び込んで来たのです。その少年がこの家の一人息子、ケンくんでした。
その瞬間、僕は驚いたのなんの!!!。あんなに驚いた事もありません。心臓がパンクしてしまうのではないか、思ったくらい、急激に鼓動が激しくなってしまったのです。
それはそうですよ、なんと、ケンくんは素っ裸で部屋に飛び込んできたのです!!!!。
ケンくんはお風呂に入っていたのです。そして、友達から電話だよー、とお父さんに叫ばれ、大慌てでお風呂を出て、そのままリビング・ルームに飛び込んで来たのです。
ケンくんは髪の毛を額の所できれいにカットした坊ちゃん刈りスタイル(マショマルカットとも言うのだそうですが)で、色白で、ふっくらとした頬の、いかにも一人っ子のお坊っちゃんと言った感じの、とても愛らしい少年でし
た。
チンチンはかなり発育していました。まだ白く、ぽってりとしている、といった感じで、先端は丸みを帯び、まだ柔らかい包皮に包まれていて、発毛はなく、根本はすべすべしていました。とてもおいしそうに実っている、といった感じのチンチンでした。
身体はまだ濡れたままで、髪の毛からは水滴が滴り落ち、湯で温められた肌は桜色に染まって、身体中から湯気がほかほかと立ち昇っていたのです。ケンくんはチンチンをブラブラ揺らしながら部屋に飛び込んで来ると、電話の所に一目散に走って行きました。客である僕がそこに居る事など、全く眼中にないのです。
「オイ、オイ、駄目だよ、裸のままで…」
と父さんは叱るのですが、平気で電話を取り、友達と楽しそうにおしゃべりを始めたのです。
ケンくんは僕に素っ裸の背中を向け、机ほどの高さの電話台に身体をに寄りかからせ、前屈みの姿勢で、つまり、その可愛らしい、豊満のお尻を僕の方に突き出すような姿勢で、電話に向かって楽しそうにおしゃべりをしているのです。その距離、僅か三メートルほど…。これは僕にとっては悩殺的な姿勢でした。
「いま、この瞬間に死んでしまっても、思い残す事はない…」
と僕は思った程です。こんな可愛い少年の素晴らしいお尻を間近に見ながら死んで行くのなら、何の後悔もしない…、と僕が思った気持ちを、皆さんなら理解してくれますよね。
僕はどぎまぎして、視線が定まらず、父さんの手前、じろじろ眺めるワケにもいかず、かといって、見ないワケにもいかず、ズボンの中ではムズムズと勃起はしてくるし、どうしていいかわからないくらい頭は混乱してしまったのです。
すると、そこに母親が入って来ました。
「なによ、ケンちゃん、裸のままで…。駄目でしょう…」
母親は大声で叱り、ケンちゃんは仕方なしに「じゃあね」といいながら電話を切ったのです。そして、振り返り、僕に全裸の正面をを向けると、少しテレたような表情を浮かべながら僕を見たのです。その表情が凄く可愛かった…。
そして、ケンちゃんのその次に取った行動が、いかにもしつけのいいお坊っちゃんといった、とても可愛らしい行動でした。フツウの少年なら、自分の全裸に恥ずかしくて慌てて部屋から逃げ出す所ですが、しつけのいい、礼儀正しいケンちゃんは違っていました。何と、素っ裸のまま僕に向かって深々と頭を下げ、
「コンバンワ…」
と挨拶してくれたのです。
僕もソファーから立ち上がって、「コンバンワ、お邪魔してます…」なんて挨拶を返したのです。礼儀正しい少年には、こちらも礼儀正しくしなければなりませんから。少年は挨拶が終わると、別に恥ずかしげも無く、やはり、ブラブラさせながら悠然と部屋を出ていったのです。
それにしても、訪問先の家庭のリビング・ルームで、その家の小学校六年生の男の子が、大きくなりはじめたおいしそうなチンチン丸出しの素っ裸で、深々と頭を下げ、可愛い声で「コンバンワ」なんて挨拶してくれた、なんていう凄い体験をした人は、そうザラには無いと思います。だから、皆さんはきっと「ウッソだろう」なんて思うかも知れません。
でも、僕だって、小四くらいまでは、お風呂上がりにフルチンのまま家の中をチョコマカと歩き回ったり、その時、近所の人なんかが来ていても平気だった、という記憶はあります。皆さんにもあると思います。自分の裸を恥ずかしいと感じるのは、チンチンを意識するようになってからです。
ケンくんは、まだ、チンチンを意識していなかったのかも知れません。だから、自分の裸を他人に見られても、それほど恥ずかしいとは感じなかったのかも知れません。
そうは言っても六年生ですから、頻繁に勃起はするでしょうから、そんな時、「そうだ、僕にはチンチンがあったんだっけ」なんて意識して、「じゃあ、オナニーでもしようかな…」なんて思い立って、シコシコとやっているのかも知れませんが、その辺のケンくんの個人的な事情はよくわかりません。
その後、僕はやはりこのご家庭を訪ねる用事が出来た時、その時と同じ時間帯に合わせて訪ねました。
主人と話をしながら、いま、この時、ケンくんがお風呂に入っていて、ケンくんあてに友人から電話が入り、ケンくんが素っ裸のままリビング・ルームに飛び込んで来る、という、前回と全く同じシーンを心から期待したのですが、そうそう物事はうまく行くわけもなく、ケンちゃんに会う事は出来ませんでした。
↧
January 25, 2015, 4:59 am
今日も僕は、同じ電車に飛び込んだ。
7時36分発池袋行き。いつものように車内は、混み始めている。何とか窓際の位置を確保し、流れる景色をぼんやり眺めていた。・・・いつのまにか眠ってしまった。
相変わらずギュウギュウだなと思いつつ、ふと目を開け窓の外に視線をやった。
その時、窓ガラスに反射した顔があの人に見えた。
そう、あの頃、僕たちは、この電車に乗ってたんだよな。たった一駅だったけど。
僕の高校3年間、通学はKさんといつも一緒だった。
Kさんとは、僕のお兄さんといった存在だろうか? あれは確か、僕が中学1年の秋、ひとつ下のT君と公園で遊んだ帰り、T君が、「僕ね、友達のお兄さんがいるんだ。
ちょっと遊びに行こう。」って、言ってきた。その時、雨も降ってきたし、ましてや知らない年上の人の家に行くなんて・・・あの頃の僕は、人見知りだった。「早く行かないと、びしょぬれになっちゃうよ。」なんて言うんで、仕方なくついて行った。
そこは、ごく普通のアパートで、中からはたちぐらいのお兄さんが出てきた。T君は遠慮もなく、さっさと上がり込んで何やらお兄さんと話し込んでいる。どうやら、大学生らしい、玄関でボケッとしていると、
「さあ、上がって、風邪ひいちゃうよ。」
と、やさしく微笑み、タオルで僕の髪を拭いてくれた。
これがKさんとの最初の出逢いだった。
「かわいいね。何年生?」
「中学1年です。」
かわいいだなんて、ちょっと恥ずかしかったけど、ちょっぴり嬉しかった。
その後、何を話したかは覚えていない。
ただT君と、楽しそうに話してるのが、うらやましかった。
という訳で、その後Kさんの家に、よく遊びに行くようになった。3度目くらいには、僕も一人で遊びに行けるまで、仲良く慣れたと思う。
何故か、会いたくなって土曜日には電話をしたものだ。いつもKさんは、僕を抱きしめてくれたから。それが、僕にとって、何とも言いようのない安堵感と心地よさを運んでくれたんだ。今にして思えば、それ以上のことは無かったけれど、それで僕は満足だった。
その年のクリスマスイブの日、初めてKさんの家に泊まることになった。
T君も一緒で、T君が泊まりたいと言うので、成りゆきじょうそうなって、Kさんが家に電話してくれた。それから、一度家に着替えを取りに帰った。小学校の修学旅行みたいで、すごくワクワクしてたのを覚えている。
それから3人で、クリスマスパーティーをし、夜も更けていった。
Kさんが、「お風呂に、一緒に、入ろうよ。」と、声をかけてきた。
T君は、ゲームに夢中で、結局僕がいっしょに入ることになったのだが、裸の僕を見られることが、少し恥ずかしかった。あそこの毛が、ちょうど生えかかって来た頃だったから・・・内心、ドキドキしてた。
思い切って、パンツを下ろして風呂場へ入ると、お兄さんの裸が目に入った。これが大人なのかと思った。それから、お兄さんは、やさしく微笑んで、僕の体を洗ってくれた。他の人に洗ってもらうのは始めてだったし、何故かとても恥ずかしくてしかたなかった。
お兄さんの手が、僕のあそこに触れたときは、心臓がかなりドキドキしてた。
そのうち何とも言えない感じが僕の体を駆け巡り、何とも言いようのない気持ちよさのなかにいた。当然、僕のあそこは、徐々に大きく反応してきた訳で・・・
それでもお兄さんは気に留めずに、洗ってくれた。ふと、自分に戻ったとき、ものすごく恥ずかしくなって、風呂場を飛び出してしまった。
その夜、僕は、Kさんと同じベッドで寝ることになり、Kさんに抱かれて眠りについた。
Kさんの心臓の鼓動を聞きながら、こうしていることが、すごく気持ちよかった。
それから僕は、よく一人で泊りに行くようになった。春休み、夏休み、冬休み。
決まって泊りに行った。でも、何故か、クリスマスイブの日のようには、甘えることができなくなっていた。僕も、性に目覚めたということだったのか。Kさんを好きなのは、変わってなかったのに・・・
それでも寝るときは一緒だった。たまにKさんが、ふざけて抱きついてくるときが、あの頃のことを思い出させてくれるとともに、僕のあそこも反応していた。それを悟られまいと、必死だったことを思い出す。
僕たちは、ほんとに仲の良い兄弟のように、楽しく過ごした。ゲームをしたり、映画に行ったり、高校生になるとT君と三人で、伊豆に泊まりがけで、海水浴に行ったこともある。
高校生になったある日、すごくドキッとしたことがあった。
泊りに行って、いつものように一緒に寝ていた夜のことだった。夜中、目を覚ますとあそこに、変な感覚を覚えた。最初は、何だか分からなかったが・・・
Kさんが僕のあれを触っていたのだ。
僕は、どうしようかなと思ったけど、そのうち気持ち良くなって・・・そのままにしておいた。気付くと朝になっており・・・いつのまにかまた眠ってしまったようだった。その朝、複雑な気持ちだったけど、Kさんに対する気持ちは、変わることはなかったと思う。
その後もよく遊びに行ったり、泊りに行ったりしていたが、あの日のようなことがあったかは、定かではない。あの日のようなことがあるのではと、不安と期待の気持ちがあったのだろうか・・・
高校を卒業して、その夏、Kさんの故郷へ旅行に二人で行ったとき、Kさんから「好きだ」って告白された。今までも、何度も耳にしていた言葉だけれど、この時初めて、その意味を理解できたと・・・
「僕だって、Kさんのことは好きです。」
「あの頃のように、抱きしめて欲しいです。」
でも・・・答えを返すことができなかった。
その後、僕も社会人となり、遊びに行くことがめっきり減った。そんなある日、Kさんは故郷へ帰ることになってしまった。
「ずっと、好きだからね。頑張れよ。」
そっと肩を叩かれたけど、涙があふれ振り返ることができなかった。
この電車に乗るたびに、ふと思い出がよみがえってくる。
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January 26, 2015, 4:47 am
僕の発毛はかなり遅いものでした。
中2の夏合宿で生えていないのは僕だけということがわかり、かなり焦りがあったのですが、そのまま中3になってしまい、修学旅行ではクラスのみんなに笑われてしまいました。(その時、僕は生えていないことばかりか、大きさについても赤ちゃん並みとからかわれました。実際、3センチに満たないくらいで、長さも太さもみんなの3分の1くらいでした。)
しかし、結局成長が全く始まらないまま中学卒業を迎えてしまい、高1になった時にも毛は生えていませんでした。
この頃、小6になったばかりの弟に毛が生え始め、家でもからかわれるようになってしまいました。(弟のちんちんはぐんぐん大きくしかも太くなってこの頃には7センチくらいになっていて、風呂の後など家の中をブラブラさせて歩いていました。僕のちんちんは3センチあるかないかだったので、情けなくて悲しかったです。)
それでも、高2になる頃にはうぶ毛のようにうっすらと生え始め、高3でようやく生えそろいました。
でも、大きさは結局あまり変わらず、28歳の今でも4センチしかありません。
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January 27, 2015, 5:06 am
小学生の頃,スカートめくりが流行っていました。
みんながやっていたので,僕も調子にのって1回だけやりました。
そしたら,その日の掃除の時間に体操着で掃除をしていたら,数人の女子に無理やり女子トイレに連れ込まれました。
そして手足を押さえられ,体操着とパンツを脱がされました。
手を押さえられていたので,周りにいた女子全員におちんちんをみられました。
そして一人の女子が「このまま廊下を走らせようよ」と言ったので,僕は必死に「やめて」と言うと,リーダー格の女子が「今度スカートめくりをしたら本当に裸で廊下を走らせるよ」といい,僕が「わかりました,もうしません」というと体操着だけ返されました。
僕は体操着で前を隠しながら,隣の男子トイレに駆け込みました。
そして体操着を着てクラスに戻ると,僕のパンツが黒板に張り出されており,「○○のパンツ。スカートめくりをした罰」と書かれていました。
その日からスカートめくりをする男子はいなくなりましたが,女子のパンツ狩りは続きました。
はじめのうちは男子が女子トイレに連れ込まれていましたが,だんだん発展してきて教室で脱がされることもありました。
一人の男子は裸で廊下を走らされたりもしました。
でもなぜかかっこいい男子は被害を受けませんでした。
あるときプールの時間に男子全員が脱いだパンツを隠され(その時はかっこいい男子も含めて),誰が1番汚いパンツをはいているか比べられたりしました。
そのことは先生にばれて,女子は全員しかられ,男子にあやまされました。
それで一応パンツ狩りはなくなりましたが,修学旅行のフロの時間などはいきなり女子の全員がのぞきにきたりもしました。
誰が生えているかという賭けをしていたようです。
僕は小学校の時のことが原因でいまだに女恐怖症です。
今は男子校に通っていて,パンツを脱がされることもありますが,とても幸せです。
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January 28, 2015, 5:24 am
僕は現在中2です。僕のオチンチンは、ふだんはの皮がかぶっているのですが、手で簡単に剥くことができます。
大きさは普通の時8センチぐらいで、勃起すると12センチぐらいになります。
でも今は、勃起しても自然には剥けません。
中2になってから生えはじめたチン毛も、だいぶ濃くなってきました。
小学校の時はそうでもなかったのですが、中学校に入ってから急にオチンチンに興味を持つようになりました。
オチンチンに興味があったら小学生のときから剥いていたんでしょうね。
小学生のときは皮が剥けるなんて知らなかったので剥かなかっただけです。
初めてオチンチンの皮を剥いたのは中1の時で、お風呂上がりになんとなく皮を引っ張ってみたらするりと剥けて亀頭が出てきました。
皮がくっついていなかったのと皮の先も狭くなっていなかったので、溝のところまで簡単に全然抵抗なく剥けました。
初めて見た僕の亀頭は、白いものでびっしりと覆われていて、少し痛かったのですがタオルでこすると、それが全部取れてきれいなピンク色になりました。
今にして思うと、あの白いのが「恥垢」と言うものだったのですね。お風呂に入った時は皮を剥いてよく洗い、恥垢が溜まらないように注意しています。
今でも僕の亀頭はピンク色をしていて、とてもきれいだと思います。
剥く時にすごく痛い人もいると聞いたので、僕はラッキーだったと思っています。
ついでに僕のオナニーのやり方について話します。家で勉強をしている時なんかもオチンチンが気になり、オナニーしてしまうこともよくあります。
オナニーは皮を剥いたり戻したりしながらします。
ハンドクリームを使ったりもします。
皮が伸びて剥けずらくなると聞いたので、皮を先に引っ張ったりしながらのオナニーはしません。
クリームを使うときは皮を剥いて亀頭を刺激します。
あまり強くこすると痛くなるのでほどほどにします。
お風呂では石鹸で洗いながらやっちゃうこともありますが、とても気持ちいいです。
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January 29, 2015, 5:55 am
はじめて射精したのは中1の5月頃です。
朝起きるとブリーフの前の部分が濡れていました。
最初は中1にもなっておねしょをしたのかと思い、おそるおそるブリーフを触ってみると、おしっことは違ったねばねばした液体がついていたのでびっくりしました。
そして、それが夢精であると知ったのはそれから1週間後のことで、部活の時間に3年生の先輩からオナニーや射精について教わりました。
その日の夜先輩に教えてもらったように自分でやりました。
とても気持ち良く3回もやってしまいました。
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